浜松オート存廃問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:39 UTC 版)
2005年9月、収支悪化が原因で浜松市が浜松オートレース場の廃止を検討し始めた。これに対して浜松所属の選手、開催従事員等の関係者、そしてオートレースファンが一斉に反発。伊藤は自らブログを立ち上げてアピールを開始すると共に、レース非開催の日には浜松市街に出て署名運動を行った。この時開設したブログは、プライベートの話やレースの話、競走車にまつわる話、そして存廃問題に関する話、特に浜松市側の対応の悪さや公共事業に関する疑問、政令指定都市化のための投資への反対意見。そして何より、浜松市民が昔から抱いているオートレースとそれに携わる人々に対する偏見を払拭しようと懸命に活動した。こうした活動を後押しするように全日本オートレース選手会が存続を求める署名活動を行った。その結果、船橋オートレース場と共に2006年4月に日本トーターへの民間委託が開始された。
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