派生した教団とは? わかりやすく解説

派生した教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:49 UTC 版)

曹洞宗」の記事における「派生した教団」の解説

如来宗如来教) - 享和2年1802年)に『一尊如来きの』によって名古屋開かれた明治17年1884年以降昭和26年1951年)に宗教法人法施行によって独立するまで曹洞宗教会として活動。同宗の教義金毘羅信仰浄土信仰などの混生であり、曹洞宗本来の教えとは関連が薄い。一尊教団 - 上記教団分派石川県金沢市中心に活動救世教 - 明治19年1886年)、新潟大道長安曹洞宗から離脱して結成大慈大悲事実上如来である観音菩薩本尊として、自力他力超えた観音妙力による現世救済主張した社会福祉に力を注ぎ全国に教線を拡大したが、明治41年1908年)に大道長安入寂する後継者がいないこともあって急速に衰退法王教 - 明治後期から大正期にかけて高田道見が推進した通俗的布教運動。道見は青松寺拠点として参禅会や訪問法話会などの教化活動続けていたが、大正期入ってからは曹洞宗教義こだわらず月刊誌などの出版物講演会通した在家仏教振興に力を注ぎ、自らの活動に「法王大聖釈迦牟尼仏本旨に基づく仏教」という意味で「法王教」の名を冠した大正12年1923年)、道見が入寂すると独自の教派名を冠した運動終息した。なお、道見は最後まで曹洞宗僧籍保持していたため、「法王教」を独立した教団ではなく曹洞宗内の運動であったとする見方一般的である。高田道見(1858~1923)は、広島県比婆郡敷島村(現・庄原市)に生まれ12歳得度曹洞宗専門本校進学望んだ二度にわたり師の賛同得られ断念青松寺雲水として僧俗一体の仏教青年会組織在家信者宅への出張講義文筆活動などでの仏教伝道励み54歳法王教を提唱した三宝教団 - 昭和29年1954年)、安谷白雲曹洞宗から離脱して神奈川県鎌倉市結成。同教団道元教え中核に置きながら、公案取り入れるなど独自の修行法構築。現在は一般在家者への坐禅指導中心とし、海外にも参禅拠点がある。 この他曹洞宗系の単立寺院少数存在する

※この「派生した教団」の解説は、「曹洞宗」の解説の一部です。
「派生した教団」を含む「曹洞宗」の記事については、「曹洞宗」の概要を参照ください。

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