活動初期と解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 14:19 UTC 版)
「パヴロフス・ドッグ」の記事における「活動初期と解散」の解説
パヴロフス・ドッグは、ボーカリストのデイヴィッド・サーカンプ、ギタリストのスティーヴ・レヴィン、キーボードのデイヴィッド・ハミルトンとダグ・レイバーン、ベーシストのリック・ストックトン、ドラマーのマイク・サフロン、ヴァイオリニストのジークフリード・カーヴァー(出生名・リチャード・ナドラー)で結成された。 レヴィンはその年のうちにバンドを去り、スティーヴ・スコフィーナ(元REOスピードワゴン)が加入した。 バンドのデビュー・アルバム『禁じられた掟』がリリースされると、今度はカーヴァーがバンドを去った。セカンド・アルバム『条件反射』(1976年)のために、トム・ニクソン(ギター)がラインナップに加えられた。その後、ハミルトンが脱退し、キーボード専任の交代メンバーは長いこと空席となる。イエスとキング・クリムゾンに在籍していたドラマー、ビル・ブルーフォードは、サフロンの不在のためにこのアルバムでドラムを演奏した。サフロンはアルバム・スリーブに記名されず、バンドを永久に去ることとなり、代わりにカーク・サーキシャンが加入した。 このラインナップは、1977年の解散まで続いた。 『禁じられた掟』は1975年にABCから短い期間リリースされたが、その後すぐにコロムビアによって再リリースされた。その結果、両方のバージョンがほぼ同時に店頭に並ぶことになった。このアルバムは、ブルー・オイスター・カルト初期のプロデューサーとして成功を収めたサンディ・パールマンとマレー・クルーグマンによってプロデュースされた。彼らのセカンド・アルバム『条件反射』は1976年にコロムビアから発表された。ジャズ・サックス奏者のマイケル・ブレッカーとロキシー・ミュージックのアンディ・マッケイを含む、多くのゲスト・アーティストがこのアルバムに貢献した。 バンドは1977年に3枚目のアルバムを録音したが、最初の2枚のアルバムの売れ行きが悪かったためコロムビアにリリースを拒否され、バンドの解散を早めることとなる。3枚目のアルバムは、盗まれたマスターテープを元に限定版と銘打って、1980年代になってついにブートレグとして世に出た。それはパヴロフス・ドッグの名前ではなく、セントルイス・ハウンズ(The St. Louis Hounds)名義でリリースされた。2007年にドイツのレーベル、ロックヴィル・ミュージックによって『ハズ・エニィワン・ヒア・シーン・ジークフリード?』として正式にリリースされている。その際に1970年代からの未発表曲10曲をボーナストラックとして加え、リマスタリングもされた。ドイツのレーベルTRCは『Third』のタイトルでアルバムを再発したが、このバージョンにはボーナストラックは含まれていない。 1970年代後半にバンドが解散したとき、サーカンプは元フェアポート・コンヴェンションのメンバー、イアン・マシューズとHi-Fiというバンドに取り組んでいたが、死んでいるのではないかと噂された。 シアトルに移り住み、このグループはクラブ・シーンで成功を収め、1981年に5曲入りライブ12インチEP「Hi-Fiデモンストレーション・レコード」を、1983年にスタジオ・アルバム『Moods for Mallards』を、そしてクリスマス・シングル「It's Almost Christmas」を録音した。これらのレコードはFirst American Recordsでリリースされ、発売は太平洋北西地域に限られていた。
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