活動初期からプロコル・ハルム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/17 04:11 UTC 版)
「ロビン・トロワー」の記事における「活動初期からプロコル・ハルム」の解説
少年時代、B.B.キング、オーティス・ラッシュらブルースギタリストに影響を受けたトロワーは、1963年、ゲイリー・ブルッカーらと4人編成のR&Bバンド、パラマウンツで本格的な音楽活動を始める。ローリング・ストーンズはパラマウンツを「イングランド最高のR&Bバンド」と評し、前座として起用した。その後、パラマウンツは6枚のシングル盤をリリースしつつ、ビートルズの前座や、サンディ・ショウ、クリス・アンドリュースなどのバックバンドを務める。1966年11月、パラマウンツを脱退したトロワーは、ジャムというブルース・トリオを始めるが短命に終わる。 1967年7月、デビューシングル「青い影」を大ヒットさせたばかりのプロコル・ハルムが分裂し、リーダー格であった元パラマウンツのゲイリー・ブルッカーの誘いでプロコル・ハルムに参加する。トロワーはプロコル・ハルムで順調にキャリアを重ねるが、1970年、ドイツでジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスと共演した際に、ジミのプレイに感銘を受け、ジミの死後、1971年にリリースされた『ブロークン・バリケーズ』において、「ジミに捧げる歌」として「ソング・フォー・ア・ドリーマー」を発表し、ギターもジミが主に使用したフェンダー・ストラトキャスターに替えるなどジミからの影響は強まる。他のメンバーとの音楽性の相違も大きくなり、1971年7月、トロワーはプロコル・ハルムを脱退。元ストーン・ザ・クロウズのベーシスト、ジェイムズ・デュワーらとプロジェクト的バンド、ジュードを始めるが不調に終わる。トロワーとデュワーは、元ジョー・ジャマー・バンドのドラマー、レグ・イサドアを誘い、トロワーは自身のソロ・プロジェクトとしてのバンドを結成する事となる。
※この「活動初期からプロコル・ハルム」の解説は、「ロビン・トロワー」の解説の一部です。
「活動初期からプロコル・ハルム」を含む「ロビン・トロワー」の記事については、「ロビン・トロワー」の概要を参照ください。
- 活動初期からプロコル・ハルムのページへのリンク