注釈書と批判書とは? わかりやすく解説

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注釈書と批判書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 14:39 UTC 版)

春秋穀梁伝」の記事における「注釈書と批判書」の解説

穀梁伝』の注釈者は『公羊伝』『左氏伝』ほど多くはなく、『穀梁伝全てに渉って解釈した注釈書となると、その数は限られている。 注釈書の中で最も基本となるのは、晋の范寧らの『春秋穀梁伝集解』である。これは劉向など漢代以来注釈参照し范寧がその一族とともに造り上げた注釈書であるばかりでなく、現存する穀梁伝』の注釈書では最も古いものである。『左氏伝』に対す杜預注釈書である『春秋経伝集解』、『公羊伝』に対す何休注釈書である『春秋経伝解詁』と並び三伝注釈書の中では最高権威に属する。ただし杜預何休が、自己の奉ずる左氏伝』『公羊伝』を春秋経対す唯一の解釈書と見做し、他の二伝の排斥前提としていたことに比べると、范寧注釈態度軟化している。即ち范寧は、春秋代表的注釈書である『穀梁伝』に、感心する程の注釈書のないことを憂えて自らその作業行ったというに止まり、『穀梁伝』に対す信奉から注釈行ったのではない。その為に注釈書の中では『穀梁伝』の誤り暗々裡に認めるところが散見される范寧の『穀梁伝集解』が出て以後穀梁伝研究左程進展しないばかりか辛うじてテキスト保存可能なだけで、その解釈伝えるものは絶えてなくなっていた。それでも唐王朝による中国統一と、それにともなく南北経学統一によって『五経正義』が成立すると、その選定者の一人楊士勛は、改め范寧等の『集解』に疏(注釈注釈したもの)を作り、ここに穀梁伝古注完成した十三経注疏中に入れられる『穀梁伝注疏』は、范寧と楊士勛の注釈を指すことになった中唐以後経学は、『五経正義』を基礎とした漢代以来注釈研究ではなく直接経文研究志すものとなった。特に春秋学では夥しい研究生み出された。しかしそこでは春秋学経文研究が行われ、経文注釈書たる穀梁伝そのもの研究は却って低調であった。その中にあって、中唐の啖助・趙匡・陸淳らの『春秋集伝辨疑』、北宋劉敞による『春秋権衡』、南宋夢得の『春秋讞』(穀梁伝讞)、元朝の程端学の『春秋三伝辨疑』は、何れも卓越した穀梁伝研究批判)を展開した。また孫覚の『春秋経解』は穀梁伝を貴んだものであり、その他の宋人注釈にも穀梁伝影響を受けたものが多い。しかしこれは穀梁伝研究意味するものではなく穀梁伝諸学説自己の春秋研究取り入れたという意味に止まるものであった清朝至り漢学漢代経学)の復興叫ばれ従前宋代経学否定された。そのため、従来低調であった漢代経学見直し計られ、『正義以前注釈注目集まったその中で穀梁伝』も幾ばくかの注目を受けることにはなったが、清朝初期から中頃隆盛した『左氏伝』、中頃から末期公羊学派基本典籍として重視された『公羊伝』に比べ、その注目度合いは相当低いものであった清朝学者として必ずしも著名とは言い難い鍾文蒸の『春秋経伝補注』が、清代穀梁伝研究の代表と見做されている。なお清末の廖平著した『穀春秋経古義疏』も有名であり、広い意味での清人十三経注疏一つ数えられている。 なお日本に於いては林羅山訓点本存在する他、岩本憲司による『穀梁伝』と范寧注との翻訳書春秋穀梁伝范甯集解』(汲古書院1988年)が出版された。

※この「注釈書と批判書」の解説は、「春秋穀梁伝」の解説の一部です。
「注釈書と批判書」を含む「春秋穀梁伝」の記事については、「春秋穀梁伝」の概要を参照ください。

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