注目されることとなった経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 15:09 UTC 版)
「病原性大腸菌」の記事における「注目されることとなった経緯」の解説
1940年代 イギリスで、乳幼児下痢症と大腸菌の関連が疑われていた際に、現在の血清型O111 が病原菌としてつきとめられた。 1967年 コレラ毒素に類似したエンテロトキシンを産生する大腸菌が最初に見いだされた。 1970年 60℃、10分の加熱で失活する易熱性エンテロトキシン(LT)と100℃、30分の加熱に耐える耐熱性エンテロトキシン(ST)の2種類のエンテロトキシンが発見された。 1982年 アメリカ合衆国のオレゴン州とミシガン州で発生したハンバーガーによる中毒。この集団食中毒を契機にO157が発見された。 1985年 旅行者下痢症から、EPECではないがEPECと類似の付着特性を持った菌(血清型O78:H33、菌株名211株)が分離された。 1996年(平成8年)5月28日 岡山県邑久郡邑久町(現在の瀬戸内市邑久町)の学校給食に起因するO157食中毒事件を、岡山県保健福祉部環境衛生課が発表した際に、マスコミを通じて O157の名称が知られるようになった。同年の集団発生事例は、7月22日18時時点で厚生省生活衛生局食品保健課がまとめている。 1996年(平成8年)7月12日、大阪府堺市で学校給食に起因する、腸管出血性大腸菌O157が原因の「堺市学童集団食中毒事件」が発生した。児童7,892人を含む9,523人が、下痢や血便症状を罹患、3人の児童が死亡し、大人にも二次感染が広がった。これまでに類を見ない、世界的にも極めて超大型の食中毒発生事件となった。溶血性尿毒症症候群を発症した児童が、事件から19年を経過した2015年(平成27年)10月、後遺症を原因として死亡している。堺市は7月12日を「O157 堺市学童集団下痢症を忘れない日」と制定している。 2019年(平成31年)2月、同一系列の焼肉店で食中毒事案が発生し、8自治体にわたる13人の患者の便から同じ遺伝子型のO157(VT1/VT2)が、店に保管されていたハラミなどからも同じO157が検出された。
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