注目された実例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:49 UTC 版)
資金洗浄の実例を通史概観した資料は入手困難である。ナチスドイツは第二次世界大戦の間に占領地で金塊を略奪した(Nazi Gold)。その100トン近くがスイス銀行で資金洗浄されたといわれている。 規制の黎明期である1980年代の摘発例は、しばしば実行者の個人名で記録が残っている。これを防げなかった金融機関は一部のケースで名指しをされているが、事件記録では特に追及されていない。そのかわり、たとえばスイス議会で問題となり、法律を整備する根拠となった。フェルディナンド・マルコス元フィリピン大統領は、資金洗浄にスイス銀行を利用して世界史に名前を刻んだ。一方、アメリカ両大陸ではラテンアメリカの債務危機で巨額の資産が目まぐるしく移動していた。このような舞台でイサーク・カッタン(Isaac Kattan)などが南米の麻薬マネーを「洗濯」した。オーストラリアのニューガン・ハンド・バンク(Nugan Hand Bank)は、中央情報局と関係しタークス・カイコス諸島で資金洗浄をしていた。 例外として金融機関が焦点化したのは、中東のオイルマネーが支配するカプコン(Capcom)とイギリスのBCCI(国際商業信用銀行)が麻薬マネーを資金洗浄した容疑である。証券化の急進地であるシカゴと、ビッグバンを推進するシティ・オブ・ロンドンの不名誉な接点が浮き出た。BCCIは1990年に1130万ポンドの制裁を受けたが、BCCIに対する調査は翌1991年になってイングランド銀行の命令でプライスウォーターハウスが行い、数年間にわたる広範な金融犯罪の証拠を報告した。BCCIは、1991年に倒産したが、BCCIが行った200億ドルにのぼる資金洗浄の総額は、2018年にダンスケ銀行の2000億ユーロに及ぶ資金洗浄疑惑が浮上するまで最高額となっていた。 1990年代には資金洗浄の実行者と金融機関の関係が不可分とみられるような事件が起きた。まず、リッグス銀行(旧第二合衆国銀行)はチリのアウグスト・ピノチェトを得意先としていたが、その関係を隠すために不動産取引を利用していたので、銀行秘書法により制裁金を課された。2005年1月に同行は1600万ドルを命令されている。スペインでも800万ドルの和解金を払うことになった。バンダル・ビン・スルターンがBAEシステムズから受けた賄賂を同行で資金洗浄したことなども追及された。そして、バンク・オブ・ニューヨークはエドモンド・サフラのリパブリック銀行が違法取引をしている容疑で1999年に捜査をうけ、資金洗浄の痕跡を発見された。事件は合衆国上院の委員会(Permanent Subcommittee on Investigations)で305ページという分厚い報告書にまとめられた(Correspondent Banking: A Gateway to Money Laundering)。 1990年代には移民による送金が資金洗浄の手段に使われ、バラカートが規制の果てに営業を停止した。
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