池田大作との対話
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「アーノルド・J・トインビー」の記事における「池田大作との対話」の解説
1972年、トインビーは創価学会会長(当時)の池田大作と会談し、いかなる状況下でも核兵器を使用することの「悪魔性」(demonic nature)を断罪した。トインビーは、原子爆弾は、戦争を政治的規模から破滅的規模に拡大させ、人類の生存を脅かす発明であるとの見解を持っていた。トインビーは、池田との対話の中で、「原子時代の道徳的課題に対応できない代償として、人類は自己清算するかもしれないという認識が広まっているにもかかわらず、人類が倫理的行動を強化し、自己成熟を達成することができないのではないか」という心配を述べている。 二人は1972年5月5日にロンドンで初めて会った。1973年5月、池田は再びロンドンに飛び、10日間、40時間にわたってトインビー会談した。その後、二人の対話と継続的な書簡のやり取りを経て、人類が直面する重要な問題に対する二人の意見をまとめた"Choose Life – A Dialogue"(日本語訳『21世紀への対話』)が出版された。この本は現在までに24か国語で出版されている。トインビーは、池田の代表作である『人間革命』の英語版にも序文を書いており、この本は全世界で700万部以上売れている。 トインビーは池田とのインタビューで「高額な報酬」を得ていたとして、批判を受けた。 1984年、彼の孫娘であるポリー・トインビー(英語版)は『ガーディアン』紙に祖父と池田との出会いについて批判的な記事を書いた。その記事は次のように始まっている。「日本への長いフライトの中で、私は初めて祖父の死後に出版された"Choose Life – A Dialogue"を読みました。これは祖父と池田大作という日本の仏教指導者との間で交わされた議論です。私の祖父は(中略)この対談が収録されたとき85歳で、最後に脳卒中で倒れてしまう少し前のことでした。性教育、公害、戦争などをテーマにした二人の長い談話を収録したこの本は、祖父の作品の中でも最も親切にも忘れ去られたものでしょう。」 2005年には、トインビーと池田の初対面から30周年を記念した展覧会が世界各地のSGIセンターで開催され、1,500人を超える世界の学者、知識人、活動家との対話や池田の平和への議論の内容が紹介された。また、トインビーと池田が交わした手紙の原本も展示された。
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