水中特攻/水上特攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:16 UTC 版)
水中特攻、水上特攻は、回天、震洋などの特攻兵器を使用した敵艦船を目標とする体当たり、自爆攻撃のことである。 水上特攻は陸海軍とも当初は搭乗員の戦死が前提ではなく、陸軍の四式肉薄攻撃艇は敵艦近くの海中に爆雷を投下し、そのまま退避するのが前提であったが、実際に試作艇で試験してみると爆発時に生じる水柱の回避が困難なことが判明し、技術陣からそのまま体当たりした方が効率がいいという指摘がなされて、体当たり攻撃も可能な装備が付けられた。しかし、陸軍の原則はあくまでも爆雷投下後退避であり、1945年に作成された教範では、四式肉薄攻撃艇が「敵艦の側面に真っ直ぐ突進して爆雷を投下しUターンして退避する」とか「敵艦後方から両側から挟む様に2隻の特攻艇が敵艦に接近し、爆雷を投下してそのまま前進して退避する」とか「斜め後方より敵艦に接近し爆雷投下後直角に退避する」とかの攻撃法が図入りで説明されていた。実戦でも沖縄戦中の1945年4月9日に駆逐艦チャ―ルズ・A・バジャーを攻撃した四式肉薄攻撃艇は、まだ暗い早朝4時に暗闇に紛れて気付かれず同艦に接近し爆雷投下後無事に退避している。この爆雷はチャ―ルズ・A・バジャーのすぐそばで爆発し、艦体全体が湾曲し後部ボイラー室と機械室に大量に浸水し航行不能に陥る大損害を被った。一方で、同日夜に輸送艦スターを攻撃した四式肉薄攻撃艇は、退避が遅れて自分の爆雷の爆発で吹き飛んでいる。爆雷は4秒の時限信管付きで、投下後4秒間沈下し、水面下10mで直上の敵艦艇に最大の打撃を与えられた。しかし敵艦から10m離れると著しく威力が減少するため、実戦でも爆雷の投下までできたが敵艦に軽微な損傷しか与えられなかったケースが多くあった、そのため、自ら体当たりを選ぶ搭乗員も多かった。 一方で海軍の震洋は初めから体当たり攻撃用に開発されていたが、海軍中央は体当たり前の脱出を前提に開発を進めるよう要望している。昭和19年8月16日の特攻兵器に関する会議で連合艦隊参謀長草鹿龍之介中将が「せめて10分の1生還の途を考えてもらいたい」と意見し、海軍次官井上成美大将も捨身戦法は有益であるが、脱出装置は準備すべきと意見を述べている。これらの海軍の方針もあり、震洋の操舵輪には固定装置が付けられ、搭乗員は敵艦に命中する様にコースをセットしたら後ろから海に飛び込む様に設計されており、訓練所のあった海軍水雷学校で訓練したところ、走っている艇より海中に飛び込むことは容易で、スクリューに巻き込まれる事もなく安全であることが判明している。しかしこの固定装置は初期生産型のみの設置で、水雷学校で行われていた体当たり前に海中に脱出する訓練は、水雷学校の分校である長崎県川棚町の魚雷艇訓練所に訓練場所が移った後は行われなくなり、また訓練を受けている隊員たちもそのまま体当たりするのが当然と考えていた。
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