毛織物生産への進出とは? わかりやすく解説

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毛織物生産への進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/31 14:40 UTC 版)

片岡春吉」の記事における「毛織物生産への進出」の解説

1894年明治27年)に日清戦争勃発する春吉戦地に赴き、後に野村毛織創業することになる中島郡一宮町出身野村右衛門交友結んでいる。戦場支給された軍絨から毛織物将来性感じ日本に帰国すると孫三とともに輸入品大半だった毛織物生産志した1896年明治29年)には志げとの間に長男片岡孫忠が生まれている。春吉妻子置いて単身上京し同年設立されたばかり東京モスリン紡織株式会社(後の大東紡織株式会社現在のダイトウボウ)に無給見習い職工として入社した東京モスリン紡織モスリン製造技術習得して津島町に戻ると、1898年明治31年3月には尾張製糸工場跡地片岡毛織工場設立し孫三郎が工場主、26歳春吉工場長となった片岡毛織ロゴは「M」と「A」を組み合わせたのであるが、これは孫三郎の「ま」を表したのである1897年明治30年)には長女のいとが、1900年明治33年)には次男孫次生まれている。 1901年明治34年)にはモスリン代わるセル地(和服織物、セルジス)の開発成功日本初め製織されたセル地だった。片岡毛織セル地は同年11月には第5回愛知県五二品評会銅賞牌を受賞し1902年明治35年)には第2回全国製産博覧会有功二等銀牌受賞し1903年明治36年)には大阪開催され第5回内国勧業博覧会二等賞牌受賞した。こうして片岡毛織工場名声博し東京市田商店などにも商品卸した。1902年明治35年)には三男の弘が生まれ1904年明治37年)には四男の昇が生まれている。1904年11月には日露戦争召集され32歳だった春吉後備陸軍歩兵伍長として出征した日露戦争での毛織物の軍絨はまだ輸入頼っており、イケイケ気分だった春吉ドイツハートマン社とイギリスジョージ・ホジソン社製の織機輸入して生産拡大させた。

※この「毛織物生産への進出」の解説は、「片岡春吉」の解説の一部です。
「毛織物生産への進出」を含む「片岡春吉」の記事については、「片岡春吉」の概要を参照ください。

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