殺人罪の刑事裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 23:52 UTC 版)
1955年5月11日から翌12日朝の間に、静岡県三島市にある丸正運送店の女性店主が絞殺され預金通帳が無くなっていた。この事件の犯人として、同年5月29日に沼津市の大一トラックの運転手である李得賢、翌日に運転助手の鈴木一男が逮捕され、2人は強盗殺人罪で起訴された。李得賢は事件について終始関与を否定、鈴木一男は一度は自白をしたものの、その後は自白は拷問によるものだとして一貫して犯行を否定した。 検察側は、女性店主を絞殺時に使った手拭いが李得賢のものであることや、犯行当日に丸正運送店の近くに大一トラックの車が停まっていたというタクシー運転手の目撃証言を証拠とした。しかしこの手拭いは大一トラックが昭和29年と30年に年賀用として配ったものであり、証拠としての信憑性は薄かった。さらにタクシー運転手の目撃証言も二転三転し、運転手と一緒にいたとされる者が目撃自体を否定した。この証言については被疑者の弁護人が偽証として告発するも不起訴となっている。 また盗まれたとされた預金通帳は、事件からおよそ6ヵ月後に被害者の実家から実印とともに発見され、検察が起訴状で金銭目的とする動機が大きく揺らいだ。しかし裁判ではこれらの件は殺人認定に影響を与えることはなかった。 2人が犯人として逮捕されたきっかけは、運転していたトラックが東京に着くのが遅かったという事実だけであった。犯行当日に李は非番だったが、当日は顧客からの荷物運送の依頼が多かったため、会社からの要請で李も一社員として引き受けた。李らのトラックが東京に向けて沼津を出発した15分後、同じ会社のトラック2台が同じく東京に向けて出発した。後続の2台が先に東京に到着し、遅れて15分後に李のトラックが到着した。捜査本部は後続の2台のトラックより到着が遅れたことに不審を抱き、2人が捜査線上に浮上。それに対し2人は荷物を満載したトラックゆえエンジンの調子が悪く、オイル切れをしたために国道1号の箱根峠で注油するのに15分かかり、その間に後続の2台のトラックに追い越されたのだとあくまで主張した。 1957年、第一審で李得賢には無期懲役、鈴木一男には懲役15年の判決が下された。第二審への控訴は棄却、最高裁への上告も棄却された。
※この「殺人罪の刑事裁判」の解説は、「丸正事件」の解説の一部です。
「殺人罪の刑事裁判」を含む「丸正事件」の記事については、「丸正事件」の概要を参照ください。
- 殺人罪の刑事裁判のページへのリンク