死者数・犠牲者数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 23:39 UTC 版)
「ソビエト連邦における強制移送」の記事における「死者数・犠牲者数」の解説
シベリアやカザフスタンの厳しい気候、病気や感染症、毎日最大12時間もの労働搾取、劣悪な住環境により強制移送となった者の死者数は非常に多くなった。すべての強制移送に伴う死者数は80万人から最大150万人であるとされている。下記表では、死者数の総計は約112万人から191万人として推計される。 NKVDの公文書からも強制移送された民族の死亡率は高く、メスヘティア・トルコ人では死亡率14.6%、カルムイク人では17.4%、クリミア出身者では19.6%、チェチェン人やイングーシ人など北コーカサス出身者では23.7%にのぼった またNKVDは過少に記録していたが、強制移送された朝鮮人の死亡率は10% から16.3%であると推定されている。 1930年代~1950年代にかけて強制移送された者の中での死者数民族推計死者数脚注クラーク(1930–1937年) 389,521 チェチェン人 100,000–400,000人 ポーランド人 90,000人 朝鮮人(高麗人) 16,500–40,000人 エストニア人 5,400人 ラトビア人 17,400人 リトアニア人 28,000人 フィン人 18,800人 ハンガリー人 15,000–20,000人 カラチャイ人 13,100–19,000人 在ソビエトドイツ人(ドイツ語版) 42,823–228,800人 オーデル・ナイセ線以東のドイツ人 300,000–360,000人 カルムイク人 12,600–16,000人 イングーシ人 20,300–23,000人 バルカル人 7,600–11,000人 クリミア・タタール人 34,300–195,471人 メスヘティア・トルコ人 12,859–50,000人 合計 1,124,203–1,912,392人 歴史学者オーランドー・ファイジズによれば、スターリン体制下の被害者、つまり銃殺された人、強制収容所に収容された人、特殊居住地に移送されたクラーク、奴隷労働を強制された人、強制移住の対象となった少数民族などの総数は控えめにみつもっても2500万人と推計される。これは1941年当時のソ連の人口2億人の8分の1にあたる。しかし、ここには飢饉の犠牲者や戦死者など戦争犠牲者は含まれない。 M.エルマンは、1934-53年の期間に、グラーグ管理下の労働収容所に収容された囚人を1875万人とし、処刑された人は100万人以上、労働軍その他グラグの強制労働組織に編入された人は200万、強制移住の対象となった少数民族は500万、1928年以降にクラークとして抑圧された人は1000万人と計算する。これらを合計すれば3675万人となるが、ここから複数回収容された人を差し引けば、ファイジズの推計2500万人は実態よりも控えめとなる。
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