歴代大妃とは? わかりやすく解説

歴代大妃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 16:21 UTC 版)

朝鮮大妃の一覧」の記事における「歴代大妃」の解説

純貞孝皇后哲仁王后除いて、殆どが王大妃となった人物である。 諡号時世配偶者別称本貫在位期間王陵備考定安王后 太宗 定宗 徳嬪 徳妃 順徳王太妃 慶州金氏 1400年 - 1412年 厚陵 朝鮮初の王大妃元敬王后 世宗 太宗 靖寧翁主 貞嬪 静妃 厚徳王太妃 驪興閔氏 1418年 - 1422年 献陵 定順王后 世祖 端宗 懿徳王大妃 礪山宋氏 1455年 - 1457年 思陵 貞熹王后 睿宗 世祖 楽浪府大夫人聖王大妃 慈聖大王大妃 坡平尹氏 1468年 - 1469年 光陵 孫の成宗幼かったため、朝鮮初の垂簾聴政行った昭恵王后 成宗 徳宗 粋嬪 仁粋王妃 仁粋王大妃 仁粋大王大妃 清州韓氏 1475年 - 1494年追尊) 敬陵 安順王后 成宗 睿宗 仁恵王大妃 明懿大王大妃 清州韓氏 1469年 - 1494年 昌陵 貞顕王后 燕山君中宗 成宗 慈順王大妃 坡平尹氏 1494年 - 1530年 宣陵 文定王后 仁宗 中宗 聖烈大王大妃 坡平尹氏 1544年 - 1545年 泰陵 幼い息子明宗に代わって、垂簾聴政実施垂簾聴政後も、政権掌握仁聖王后 明宗宣祖 仁宗懿王大妃 潘南朴氏 1545年 - 1578年 孝陵 仁順王后 宣祖 明宗聖王大妃 青松沈氏 1567年 - 1575年 康陵 仁穆王后 光海君仁祖 宣祖 昭聖王大妃 明烈大王大妃 延安金氏 1608年 - 1618年1623年 - 1624年 穆陵 大妃地位廃され側室降格継子光海君慶運宮幽閉されていた。仁祖起こしたクーデターで名誉を回復荘烈王后 孝宗 仁祖懿王大妃 慈懿恭慎大王大妃 楊州趙氏 1649年 - 1659年 徽陵 存命中に2度礼訟論争があった。 仁宣王后 顕宗 孝宗 豊安夫人粛王大妃 徳水張氏 1659年 - 1674年 寧陵 明聖王后 粛宗 顕宗烈王大妃 清風金氏 1674年 - 1684年 崇陵 息子粛宗が王になると、国政深く干渉した仁元王后 景宗 粛宗 恵順王大妃 恵順慈敬大王大妃 慶州金氏 1720年 - 1724年 明陵 宣懿王后 英祖 景宗 敬純王大妃 咸従魚氏 1724年 - 1730年 懿陵 貞純王后 正祖 英祖 睿順王大妃 睿順聖哲大王大妃 慶州金氏 1776年 - 1800年 元陵 純祖在位時に3年間の垂簾聴政行った孝懿王后 純祖 正祖 孝懿宣皇后 清風金氏 1800年 - 1821年 健陵 純元王后 憲宗 純祖敬王大妃 文仁光聖大王大妃元粛皇后 安東金氏 1834年 仁陵 存命中に2度垂簾聴政行った神貞王后 憲宗哲宗 翼宗 孝裕王大妃 宣敬純化大王大妃 神貞翼皇后 豊壌趙氏 1834年 - 1857年追尊) 綏陵 幼くして、国王になった養子高宗のために興宣大院君と共に垂簾聴政行った孝定王后 哲宗高宗 憲宗 明憲大妃 明憲王大妃 明憲王太后 明憲太后定成皇后 南陽洪氏 1849年 - 1904年 景陵 哲仁王后 高宗 哲宗 明純大妃 哲仁章皇后 安東金氏 1863年 - 1878年 睿陵 純貞孝皇后 日本統治時代大韓民国 純宗 李王李王大妃 海平尹氏 1926年 - 1966年 裕陵 大韓帝国皇太后

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