武道館サポーター15,000人への挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 03:59 UTC 版)
「宮崎奈穂子」の記事における「武道館サポーター15,000人への挑戦」の解説
デビューから2年半、大学卒業から1年が経った、2010年の春。宮崎は、シアーレーベルで一緒に活動してきたプロデューサーやアーティストらと共に、新しい音楽事務所Birthday Eveの設立メンバーに名を連ねた。同年5月、Birthday Eveの仲間が、「1年間の路上ライブでサポーター15,000人を集めたら、武道館で単独公演を行う」という目標への挑戦を始めた。サポーター1人あたり3150円の会費を集め、それを武道館公演に向けた活動資金に充てるという企画である。宮崎は「〔自分には〕できるはずがない」と思い、すぐにはこの目標に挑戦しなかった。だが、このチャンスを逃したら、一生武道館のステージに立つことはできないかもしれない。それどころか、このまま夢を追いかけ続けても、いつまで音楽活動を続けていけるかわからない。結果はどうなろうと、与えられたチャンスは、とにかく掴む努力をするべきではないか。「想像もつかない数字だったけど、やらなきゃ始まらないと思った」。路上ライブを続ける中で、このように心境が変化してきたという。 同年7月より、宮崎はこの目標への挑戦を始めた。まずは自分のことを知ってもらえるよう、毎朝どこかの駅前で通勤客に手書きのチラシを配った。路上ライブは、池袋や渋谷を中心に、夏も冬も、雨の日も、気温が0度の日も、ほぼ毎日行い、許される限り毎夜、終電まで続けた。長い時には午前中から深夜まで、合計12時間近く、路上に立っていた。夜行バスで地方にも遠征した。自分のオリジナル曲はもちろん、有名アーティストの曲のカバーや、スタンダードな合唱曲のカバーまで、幅広く歌った。 ある日、宮崎は品川での路上ライブで、ローソンで販売促進を担当している男性と知り合った。当時ローソンでは、店内放送で流す曲のリクエストをツイッターで受け付ける『ツイリク』というサービスを行なっていた。偶然にも、宮崎がローソンの販促担当の男性と出会う日の前日に、あるファンが『ツイリク』で宮崎の曲『ぴっかぴか』をリクエストしていた。そしてそのツイートを見た他のファンが、宮崎の曲を、毎日毎日、次々とリクエストし続けるということが起こっていたという。宮崎の曲が『ツイリク』で初めて店内放送されたときは、早朝にもかかわらず多くのファンがローソンの店舗に行って放送を聞き、ツイッターで喜びを分かち合った。宮崎によれば、反響の大きさを知ったローソンでは、『ツイリク』での放送期間終了後も、メジャーアーティストの楽曲を放送する枠で宮崎の楽曲を放送し続け、店内で働くローソンクルーからのリクエスト専用の放送枠でも宮崎の楽曲が放送されたという。翌年2011年の3月、宮崎は、「ローソンのパスタブランドのブランドソングを作ってほしい」という依頼を受け、タイアップ曲『ひげおじさんのパスタに会いに行こう』を制作した。プロモーションビデオも制作し、ローソンの店内で流されたほか、ローソンのHPにも掲載された。宮崎によれば、これら一連のローソンでのヘヴィー・ローテーションをきっかけに、宮崎の活動に興味を持つ人が増え、武道館サポーターも急増したという。 武道館への挑戦を始めてから356日目にあたる2011年7月1日、目標の15,000人を達成した。
※この「武道館サポーター15,000人への挑戦」の解説は、「宮崎奈穂子」の解説の一部です。
「武道館サポーター15,000人への挑戦」を含む「宮崎奈穂子」の記事については、「宮崎奈穂子」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から武道館サポーター15,000人への挑戦を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から武道館サポーター15,000人への挑戦を検索
- 武道館サポーター15,000人への挑戦のページへのリンク