武道道場の神棚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 19:00 UTC 版)
現代の武道の道場にはよく神棚が祀られているが、江戸時代の道場は神棚ではなく、『日本書紀』や『古事記』など日本神話から「剣の神、武の神」とされた「鹿島大明神」(武甕槌神)と「香取大明神」(経津主神)の二柱の神名、さらに幕末期には尊皇攘夷思想の高まりとともに「天照皇大神宮」(天照大神)を中央に加えた三柱の神名を書いた掛け軸が床にかける神床であった。 道場に神棚が祀られるようになったのは明治時代以降の国家神道の影響である。1936年(昭和11年)、文部省主催の体育運動主事会議において、「道場ニハ神棚ヲ設クルコト」という答申が行われ、学校の道場への神棚設置が義務化された。その下に日章旗が掲揚され、稽古の際に神拝が行われるようになった。 第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部が学校教育への武道を禁止し、1946年(昭和21年)1月12日に大日本武徳会理事長藤沼庄平から都道府県支部長宛に「神殿、神棚等撤廃ニ関スル件」が発せられ、神棚は撤去された。ただし現代においても一部の国公立校、多くの私立校では神棚が祀られている。
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