欧州戦線以外での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 16:00 UTC 版)
「P-47 (航空機)」の記事における「欧州戦線以外での活躍」の解説
第二次世界大戦中、P-47は米国以外の連合国の航空部隊でも使用された。 RAF(ロイヤルエアフォース、英空軍)は1944年半ばからP-47を受領し始めた: サンダーボルト Mk. I:レイザーバックタイプのP-47D。240機 サンダーボルト Mk. II:バブルキャノピィのP-47D。590機 評価試験に使われた数機をのぞいた全ての機体はRAFにより運用され、インドから飛び立ってビルマの日本軍を攻撃した。この作戦は「キャブ・ランク(cab rank、タクシー乗り場)」として知られている。サンダーボルトは500lb爆弾あるいは英国製「60パウンダー」ロケット弾で武装していた。戦後はわずかな期間しか運用されず、最後の機体は1946年10月に退役した。 ブラジル遠征軍は88機のP-47Dを受領し、イタリア戦線で運用した。メキシコは対日戦用に25機を受領したが、戦闘を行うことなく終戦を迎えた。自由フランス軍は1945年に446機のP-47Dを受領し、後に第一次インドシナ戦争やアルジェリア戦争にも使用した。 203機のP-47Dがソビエト連邦に供与され、うち196機が到着した。ソ連軍パイロットによる試験飛行の結果、小型で機敏なソ連軍戦闘機に比べ重く、動きが緩慢で加速や上昇性も良くないが、操縦は容易で乗り心地が良く、航続距離が長く高高度性能の良いことが評価された。しかし、ソ連空軍では長距離戦略爆撃を殆どやっておらず護衛任務も無く、対地攻撃用にはすでに多数のIl-2が運用されており、使い道が見つからなかった。一方、比較的航続距離が長いことと爆弾搭載量が多いことから、海軍航空隊から戦闘爆撃機として求められ、北方艦隊麾下で対艦攻撃と偵察任務に就いた。 1945年(昭和20年)2月27日に台湾空襲に飛来した第5航空軍第35戦闘航空群第40戦闘飛行隊所属のラルフ・R・ハートレイ中尉操縦のP-47Dが日本軍の集成飛行場所属の四式戦「疾風」に撃墜されて豊原郊外に墜落したが、ほぼ原形に近い形で鹵獲された。
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