檸檬忌・文学碑
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命日の3月24日は、代表作である『檸檬』から、「檸檬忌」(れもんき)と呼ばれる。1971年(昭和46年)11月に静岡県伊豆市の湯ヶ島温泉の旅館「湯川屋」に文学碑が建立されたのを機に、「湯川屋」主人・安藤公夫(故人)が始めたとされる。2000年(平成12年)を最後にイベント的には一旦途絶えていたが、地元の住人たちの間で機運が高まり、2016年(平成28年)7月に「新生檸檬忌」として復活した。会合は必ずしも命日に行っているわけではない模様である。2017年(平成29年)5月現在は故・安藤公夫の孫の神田航平が実行委員会を主催している。 基次郎の墓は、大阪市南区中寺町(現・中央区中寺)常国寺2丁目の常国寺にある。墓文字は中谷孝雄の書。墓の横には、北神正が建てた梶井基次郎碑がある。 静岡県伊豆市の湯ヶ島温泉の旅館「湯川屋」近くに文学碑がある。1971年(昭和46年)11月3日に建立(当時・田方郡天城湯ケ島町)。除幕式では、兄・謙一の孫娘の少女が除幕の綱を引いた。西瀬英行制作の碑には、川端康成に宛てた基次郎筆跡の以下の手紙の文面が刻まれている。脇には「梶井基次郎文学碑」という川端康成の書の副碑や、基次郎の臍の緒を収めた壺が埋められた「檸檬塚」もある。碑石は「能勢石」という伊丹市の能勢妙見峡谷の猪名川水源の砂に埋もれていた自然石である。 山の便りをお知らせいたします。櫻は八重がまだ咲き残つてゐます つつじが火がついたやうに咲いて来ました 石楠花は湯本館の玄関のところにあるのが一昨日一輪、今日は浄簾の滝の方で満開の一株を見ましたが大抵はまだ蕾の紅もさしてゐない位ですげんげん畑は堀り返へされて苗代田になりました。もう燕が来てその上を飛んでゐます。 — 梶井基次郎「川端康成宛ての書簡」(昭和2年4月30日付) 三重県松阪市の松阪城址に『城のある町にて』の文学碑がある。1974年(昭和49年)8月に建立。 三重県北牟婁郡海山町(現・紀北町)の上里小学校(姉・冨士が教鞭をとっていた学校)の校庭内に文学碑がある。1978年(昭和53年)5月14日に建立。『城のある町にて』の作中で北牟婁郡に言及する〈其処は山のなかの寒村で、…〉の一節が新仮名遣いで刻まれている。 大阪市西区の靱公園内に文学碑がある。1981年(昭和56年)6月に建立。碑には『檸檬』の一節が刻まれている。 兵庫県伊丹市千僧3丁目の西善寺公園に文学碑がある。1986年(昭和61年)5月21日に建立。
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