檀林・法類(法縁・法眷)・本末関係
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「日蓮宗」の記事における「檀林・法類(法縁・法眷)・本末関係」の解説
日蓮入滅後、教団は六老僧を中心にして拡大していったが、師弟の繋がりによって浜門流(日昭)、池上門流(日朗)、四条門流(日像)、六条門流(日静)、身延門流(日向)、富士門流(日興)、中山門流(日常)などの門流にわかれ、たがいに異なった秘伝・法門を相続し、ときには門流の対立から分派もみられた 。 江戸期に入ると僧侶の養成機関として各地に檀林が創設された。檀林の講堂は高台地に立てられ、学寮は谷間に立てられたが、飯高地方では「谷」を「サク」と呼ぶところから、「谷名(さくめい)」が学寮の異名となった 弟子はその師匠の出た学寮に入るようになり、学系が固定するにつれ、ある寺の住職はどの学寮の出身者に限るとか、修行階梯による出世寺格が定まり、寮ごとに「持ち寺」「出生次第」「出世寺」が固定し、「法類」(法縁・法眷とも)制度が確立されていった。このようにして、従来からあった門流意識に、新たにできた学系意識が加わり、法類制度はきわめて強固なものになっていった 。 檀林は、明治5年(1872年)、太政官政府による学制(日本最初の近代的学校制度)の制定・公布にともない、相次いで廃止された。また昭和16年(1941年)、旧日蓮宗・顕本法華宗・本門宗は、三派合同により対等合併して新「日蓮宗」として再編を行った際、本末制度を解体、法類関係も解消し、行政府としての宗務院が本山にかわって住職の任免を行い、宗費課金を徴収するなど、組織制度を大幅にあらためた。しかし長年つちかわれてきた本山・法類関係は完全には払拭されず、各法類とも法類内の結束をはかり、現在でも住職の移動は基本的に法類の内部だけでおこなわれている 。 総本山━┓大本山━╋━┳━中本寺━┳━小本寺━━末寺③本 山━┛ ┗━末寺① ┗━末寺② 末寺①---直末(じきまつ) 末寺②---又末(またまつ) 末寺③---又末末(またまたまつ) 孫末-----ある寺院からみて、末寺のさらに末寺(統属関係が2段階はなれている寺院) 直門-----ある寺院からみて直接の統属関係をもつ末寺 近松-----ある寺院からみて徒歩半日以内の距離にある末寺 客末-----様々な事情により統属関係を有するようになった末寺 触頭-----江戸時代、江戸市中にあって幕府と各門流との窓口の役割を課された寺院
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