檀家制度の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/23 11:45 UTC 版)
寺請制度や本末制度、1631年の寺院の新寺建立禁止令などを通して、檀那寺は檀家を強く固定化することに成功する。檀家になるとは、すなわち経済的支援を強いられるということであり、寺院伽羅新築・改築費用、講金・祠堂金・本山上納金など、様々な名目で経済的負担を背負った。1687年の幕法は、檀家の責務を明示し、檀那寺への参詣や年忌法要のほか、寺への付け届けも義務とされている。1700年頃には寺院側も檀家に対してその責務を説くようになり、常時の参詣、年忌命日法要の施行、祖師忌・釈迦の誕生日・釈迦涅槃日・盆・春秋の彼岸の寺参り(墓参り)を挙げている。 もし檀家がこれら責務を拒否すれば、寺は寺請を行うことを拒否し、檀家は社会的地位を失う。遠方に移住するというような場合を除いて、別の寺院の檀家になるということもできなかった。よって一般民衆には生まれた家(あるいは地域)の檀那寺の檀家となってその責務を履行する以外の術はなく、寺と檀家には圧倒的な力関係が生じることとなる。江戸時代における檀家とは、寺の経営を支える組織として、完全に寺院に組み込まれたものであった。 これらは、寺院の安定的な経営を可能にしたが、逆に信仰・修行よりも寺門経営に勤しむようになり、僧侶の乱行や僧階を金銭で売買するということにも繋がっていった。新規寺院建立の禁止も、廃寺の復興といった名目で行なわれ、末寺を増やしていった。また、「家」「祖先崇拝」の側面が先鋭化し、本来の仏教の教えは形骸化して、今日に言われる葬式仏教に陥った。
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