標準時の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 08:41 UTC 版)
標準時が導入される以前は、各々の自治体ごとに(もしその町の時計があれば)その町での太陽の位置に合わせて時計を合わせていた。すなわち都市や観測地点ごとに定めた平均太陽時であった(地方平均時)。移動者は移動の度に時計を合わせ直す必要があった。 鉄道が敷設される以前はこれで十分に間に合っていたが、鉄道によってそれまでよりも格段に速く広範囲を移動できるようになると、頻繁に時計を合わせ直す必要が生じた。また鉄道の運行自体に与える影響も無視できなくなった。 この問題を解決するために、ある地域内で鉄道運行に関わる全ての時計に共通の時刻を用いるという「鉄道時間」、後に「標準時」、の仕組みがイギリスで生まれた。この共通時刻としては、基準となる地点の平均太陽時を用いた。イギリスではロンドンの時間、すなわちグリニッジ平均時をこれに用いた。時刻を合わせるには、当初は時計を運んだが、後にグリニッジ天文台から電信で伝える仕組みとなった。 標準時の考え方を世界全体に適用すると、世界はいくつかの時刻帯 (time zone) に分割される。それぞれの時刻帯は(少なくとも理論的には)15度の経度範囲をカバーする。これら各々の時刻帯内に属する時計は全て共通の時刻(標準時)に合わせられ、隣り合う時刻帯の間は1時間ずつ時刻がずれている。 1884年の国際子午線会議において、グリニッジ子午線が本初子午線として国際的に採用され、従ってグリニッジ平均時が世界の各地域の標準時の基準の地位を獲得した。 この会議ではサンドフォード・フレミング卿(en)が時刻帯の仕組みを提案したが、本初子午線を決定するという会議の目的から外れるという理由で採用は見送られた。しかし実際には1929年までには主要な国のほとんどが時刻帯を採用した。 また、1918年には、世界の大洋を航行する艦船においては(経度測定用のクロノメーターとは別に)日常使用する時刻を毎日正午に船の位置する(と考えられる)子午線の地方時に合わせていたが、イギリスの通商部において、この慣習を改めて海上においても、陸上において当時の多くの国が採用している標準時と同様な時刻系を採用することの可否について関係者の詳細な意見を集めた。
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