標準時の報時のはじまりとは? わかりやすく解説

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標準時の報時のはじまり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 02:39 UTC 版)

日本標準時」の記事における「標準時の報時のはじまり」の解説

1886年明治19年明治19年勅令51号制定により標準時確立した直後から、内務省地理観象台の観測をもとに、標準時逓信省東京電信局通報し、そこから全国標準時通知されていた。 1888年明治21年1月1日明治19年勅令51号標準時施行された。この日の0時0分の時刻内務省地理観象台が全国電信局通報しており、以後しばらくの間正午報時信号地理観象台から各電信局通報されていた。 5月内務省海軍省文部省稟議のうえ、内務省海軍省が行っていた天象観測と、内務省時刻管理暦書編纂事業等は文部省へ、設備土地職員とともに移管することにした。 6月4日東京大学観象台、海軍省観象台、内務省地理観測天象部の三者合併し明治21年文部省告示第2号で、海軍省観象台の地に、東京天文台置かれ帝国大学(現・東京大学)に属した。しかし、当時はまだ8インチ赤道儀内務省地理局内東京府赤坂区葵町にあったため、麻布区飯倉東京天文台から台員が出張して観測していた。 9月26日東京天文台では、この日から、陸軍省依頼により正午通知する正午号砲用の時刻比較始め逓信省依頼電信局への正午時刻通報を行うことになる。 10月23日東京天文台での恒星観測はこの日以降ら行われた(恒星観測は、観測地点経度測量平均太陽時測定に必要とされる)。 12月5日明治21年勅令81号で、天象観測および暦書調製文部大臣管理となり、時刻の管理正式に内務省地理局(国土地理院前身)から東京天文台移管される。 1895年明治28年12月28日標準時ニ関スル件(明治28年勅令167号)が公布翌年1月1日施行)され、従来標準時東経135度の子午線の時)を中央標準時称することになる。

※この「標準時の報時のはじまり」の解説は、「日本標準時」の解説の一部です。
「標準時の報時のはじまり」を含む「日本標準時」の記事については、「日本標準時」の概要を参照ください。

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