概要・由緒とは? わかりやすく解説

概要・由緒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 10:15 UTC 版)

洞松寺 (岡山県矢掛町)」の記事における「概要・由緒」の解説

山号舟木山は、所在地神功皇后朝鮮半島出兵に関して兵船の舟材を献上したことに由来していると言われ当地仙洞御里といい、植樹し「洞の司」という名を授かったという。 飛鳥時代天智天皇行幸の時、洞の司の天覧をうけ、興福寺光照菩薩勧請し仏閣建立法相宗舟木山洞司院として創建されたと伝えられている。後に和気氏により七堂整備された。36坊を有したとされる寿永3年1184年安徳天皇西海遷幸のときに、その船が大破したそのときに船材数百本を献じ、洞司院を洞松寺改称したとされる中世期には衰退していたが、室町時代になり、応永19年1412年)に遠州大洞院の喜山性讃が猿掛城庄氏依頼により中興した。喜山性讃は師の恕仲天誾開山とし、自らは第2世となった布教数年にして、四方より修行僧集まり大道場となった弟子茂林繁・霊岳洞源禅師などあり禅風を高揚した5世性岱禅師以降輪番住持制(末山・門住職順次交代し本寺発展期する制度)が敷かれ明暦年間1655年 - 1657年)まで約200年80世に及んでいる。 その後合議して、独住制となり、特住6世天叟寿覺老師迎えている。 洞松寺文書呼ばれる古文書43通が現存しており、室町時代から戦国時代の(文安5年1448年)より慶長4年1599年)にかけて)の田地沽券寄進状寺領関連文書で、当時備中国南部経済活動窺える資料である。平成16年2004年)に岡山県重要文化財指定された。現在は、やかげ文化センター寄託されている。

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