極端な反対運動
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従来の反対運動とは事業者から有利な補償条件を引き出すことを最終目的にしており、「蜂の巣城紛争」の室原も反対運動と並行して地域活性化策を建設省(当時)と折衝していた。他の水没予定地住民も事業者と折衝を重ね妥結に至るが、ダム建設の必要性は痛感しており断腸の思いを抱きながら「公共の福祉」に殉じたのである。ゆえに生活基盤に直結する流域住民の反対運動は真剣勝負そのものである。 ダム反対運動は、えてしてダム撤去に固執し他者の意見を徹底的に排除する観念的な独善論に陥る傾向があると、ダム推進派から指摘されている。こうした主張は、2003年(平成15年)の「世界水フォーラム」において田中康夫と天野礼子が「脱ダム」についての講演を行った際に会場から「地域事情を勘案しない独善的な論拠」と建設推進の立場に立つ発展途上国の行政担当者らを中心に激しい反発を浴びたように、地元の推進派の理解を得られていない。国土交通省等は川辺川ダム・足羽川ダム・城原川ダム・サンルダム等でダム代替案を提出し、ホームページで公開して広く意見を求めることが多くなってきた。 ただし、途上国ではダムをはじめとする国家的プロジェクトに反対する住民に対し国家が圧力を加えている例もある。特に悲惨な一例としてグアテマラに1983年完成したチショイダムで、建設に反対する住民に対する政府の弾圧は軍を出動させる事態となり、1982年に最大で5000人が犠牲となったとされるリオ・ネグロの大虐殺という惨事に至った。中国では三峡ダム・溪洛渡ダムなど長江の河川開発に関して移転する住民への補償対策が不十分である点が隠蔽されるなど、必ずしも全面的にダム推進にまとまっているとはいえない。
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