極圏航路
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極圏航路(きょくけんこうろ)は、航空路のうち、北極圏や南極圏を通過するものを指す。
- ^ a b Polar Route Operations, Aero, 16, Boeing
- ^ For instance, Aviation Week 22 July 1957 p47 reports on "polar routes" from California to Europe granted to Pan Am and TWA.
- ^ ソ連の首都モスクワへの着陸・経由を行えば、西側諸国の航空会社もソ連上空を通過することはできたが、運航本数は限られていた。1972年に発生した日本航空のシェレメーチエヴォ墜落事故は、デンマークのコペンハーゲン空港から東京国際空港(羽田空港)へ向かう途中、モスクワのシェレメーチエヴォ国際空港に寄航して離陸した直後に発生した。また、ソ連との国交がない大韓民国(韓国)や中華民国(台湾)の航空会社はソ連領内への運航自体ができなかった。
- ^ この南回りルートではレバノンのベイルート国際空港(現在のラフィク・ハリリ国際空港)、タイのバンコクにあるドンムアン空港などが利用されたが、所要時間の長さや中東情勢の不安定さが嫌われて徐々に縮小された。
- ^ Study Finds Air Route Over North Pole Feasible for Flights to Asia, Matthew L. Wald, New York Times, 10-22-2000. Article retrieved 03-12-09. [1]
- ^ Over the Top: Flying the Polar Routes. Avionics Magazine, April 1, 2002. Retrieved 3-07-12. [2]
- ^ FAA AC 120-42B - Extended Operations (ETOPS and Polar Operations) [3]
- ^ a b 株式会社インプレス (2013年7月24日). “JAL、整備工場見学施設を「JAL工場見学 SKY MUSEUM」としてリニューアル” (日本語). Car Watch. 2022年9月11日閲覧。
極圏航路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 16:14 UTC 版)
海路である北極海航路がいまだ未開発であるのに比べ、北極海上空を飛行する空路である極圏航路はすでに航空路として開発され、多く利用されている。 極圏航路が商業航路として初めて利用されたのは1950年代半ばのことで、アメリカ西海岸のロサンゼルスとデンマークのコペンハーゲンとを結ぶ便が最初だった。当時は冷戦下であり、西側諸国の航空機の多くはソヴィエト連邦領上空を通過することができず、また航続距離にも問題があったため、北極圏に近いアラスカのアンカレッジ空港を中継地とし、ここで給油して北極海上空を飛行するルートが開発されたのである。ついで、日本とヨーロッパを結ぶ空路もこのコースを取るようになった。それまでのアジア諸国を回る南回り航路に比べ、このアンカレッジ経由ルートは大幅に飛行時間を短縮することができたため、この航路は北回り航路と呼ばれて日本・欧州間のメインルートとなった。アンカレッジ空港はこの空路のハブとして活況を呈したが、やがて冷戦の終結とともにロシア連邦は西側諸国の領空通過を認め、また飛行機の航続距離の増大もあって、1990年代には日本・欧州間の航空便はシベリア上空を通過するルートへとすべて変更され、極圏航路を利用しなくなった。しかし、現在でもアメリカ・カナダと中国やドバイを結ぶ便では北極海上空通過ルートが利用されている。
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