極圏航路の要衝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:49 UTC 版)
「テッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港」の記事における「極圏航路の要衝」の解説
1950年代後半以降、東アジア-ヨーロッパ間の航空路が活発化したが、多くは旧来の南回りヨーロッパ線で、所要時間は約20時間だった。最短距離のシベリアルートは当時の国際情勢から使用しづらく、次善の北回りヨーロッパ線(北極圏を通過する極圏航路)が次第に開設されたが、当時就航していた日本航空やエールフランス、スカンジナビア航空の主力機材であったダグラス DC-7Cやロッキード コンステレーションの航続距離では途中給油が必要だった。 このため、アンカレッジ国際空港が給油のための寄港(テクニカルランディング)に利用され、その後のボーイング707やダグラス DC-8などのジェット旅客機も、日本とアメリカ東海岸・中西部間の路線で、1970年代には韓国や中華民国などとの路線による利用が拡大した。
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