極地メダルの保留
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:20 UTC 版)
「ウィリアム・スペアズ・ブルース」の記事における「極地メダルの保留」の解説
ブルースはその生涯を通じて多くの表彰を受けた。1904年には王室スコットランド地理学会の金メダル、1910年には王立地理学会の金メダル(パトロンズ・メダル)、1913年にはニール賞と王立エディンバラ協会のメダル、1920年にはアメリカ地理学会のリビングストン・メダルを受けた。またアバディーン大学からは名誉博士号を受けた。しかしこれらの栄誉があっても、王立地理学会の推薦に基づいて国王から渡される極地メダルの対象から外されたままだった。このメダルは20世紀初期のイギリスやその連邦の南極探検隊全ての隊員に授与されたが、スコットランド国営南極遠征隊は例外であり、メダルは保留された。 ブルースや彼に近い者達はこの件でマーカムを非難した。この件に関しては影響力を持つと考えられる人々に繰り返し提起された。スコティア航海の年代記編者で後にブルースの最初の伝記を書いたロバート・ラドモーズ・ブラウンは、1913年に王立地理学会長宛てに手紙を書き、このような無視は「スコットランドとその努力に対する軽視」であると記した。ブルースは1915年3月に王立エディンバラ協会長に手紙を書き、同会長はその返書で「マーカムは回答しなければならないことが多い」と同意していた。1916年にマーカムが死ぬと、ブルースは長い手紙を下院議員のチャールズ・プライスに送り、クレメンツ卿のブルースとスコットランド遠征隊に対する悪意を詳述し、自分の古い仲間たちのために心を震わせる嘆願で締め括っていた。「ロバートソンは受けて当然の白リボンなしに死にかけている。仲間は死んだ!! 一等機関士は死んだ!!! 皆が他の極地遠征に仕えた者達と同じ良き者達であり、それが白リボンをまだ受けていない。」この嘆願にも何の反応も無かった。 1世紀近く後に、この件がスコットランド議会で問題にされた。2002年11月4日、スコットランド議会議員マイケル・ラッセルが、スコットランド国営南極遠征100周年に関する動議を出した。その提案は、「ブルースが20世紀初期の極地科学遠征の中心人物の1人だったことを認め、ウィリアム・スペアズ・ブルース博士に極地メダルを死後授与するこを、極地メダル諮問委員会が推薦すべき」としていた。それにも拘わらず、2008年8月時点でメダル授与は行われていない。
※この「極地メダルの保留」の解説は、「ウィリアム・スペアズ・ブルース」の解説の一部です。
「極地メダルの保留」を含む「ウィリアム・スペアズ・ブルース」の記事については、「ウィリアム・スペアズ・ブルース」の概要を参照ください。
- 極地メダルの保留のページへのリンク