極圏メダル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/03 02:21 UTC 版)
「ハリー・マクニッシュ」の記事における「極圏メダル」の解説
氷の上での反乱が実際にどのような話であったにしろ、ワースリーもマクニッシュも記録に残る形でこの出来事を残さなかった。シャクルトンはその遠征の記録『南』からその話を完全に外しており、その日記の中で、「大工以外は皆がよく働いている。この歪とストレスの時に私は彼のことを決して忘れないだろう」とそれとなく触れるに留めていた。この出来事は船の日誌に残されたが、その記述はジェイムズ・ケアード号の航海中に削られていた。シャクルトンはマクニッシュが「気骨と精神」を示したことに心を動かされていた。それでも、マクニッシュの名前は、シャクルトンが帰還した時に送った手紙で、極圏メダルを推薦されなかった4人に含まれていた。マクリンはメダル授与を否定するのは不公平だと考え、次のように記した。 私は、マクニッシュ、ビンセント、ホルネス、スティーブンソンがメダルの対象から外れていることを知ってがっかりした。...隊員の誰も、この年寄りの大工よりメダルに値するとは思えない。...私はマクニッシュに極圏メダル授与を保留することは重大な不公平だとみなすだろう。 - アレクサンダー・マクリン マクリンはシャクルトンの判断が、マクニッシュと敵対関係にあり、南極からシャクルトンと共に戻って来たワースリーに影響された可能性があると考えた。スコット極圏研究所、ニュージーランド南極協会のメンバー、および『エンデュアランス』の著者キャロライン・アレクサンダーは、シャクルトンがマクニッシュを表象対象から外したことを批判し、死後でも授章させるべきという運動が続いている。
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