業界屈指の営業部隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:31 UTC 版)
種々の方法で製品化された有用な医薬品を、医療の最前線に届けるのは営業マン(プロパー)の仕事である。シオノギの営業と言えば、抗生物質全盛時代には最強の営業部隊として知られていた。文献検索や学会発表用のスライド作成だけではなく、学術的な発展のためにも処方元の医師のために限界までつくしたと言われている。そのプロパーのことを、シオノギでは当時すでにディテールマンと呼んでいた。例えば、自社抗菌薬の特性を論理的に説明(ディテール)する手助けとして、「PK/PD理論」のさきがけともなる考え方を世界に先駆けていち早く採用していた。 製薬業界全体で、プロパーの呼称をMR(医薬情報担当者)と改めたのは1993年のことである。そしてその後の、国家公務員倫理規程の強化、女性MRの台頭、さらには日本製薬工業協会の申し合わせにより接待行為の全面禁止が2012年4月1日から実施されるなど、医療関係者(特に医師)とMRとの関係は急速に変化してきている。そうした中で、シオノギでは2012年初頭から、ディテールマン(医科向け営業マン)の属していた「学術部」の呼称を廃止している。 1886年の洋薬転換後、「シオノギ」ブランドで数多くの家庭用医薬品を取り扱っている。戦後に入ると、これら戦前からの家庭用薬品からは撤退し、1961年大阪市福島区の工場を研究所に格上げすると共に、病院向け抗生物質へ本格参入。抗生物質分野でのシェアを不動のものとする。 取り扱う医薬品の97%が医療用医薬品で占めており、主力は、高脂血症治療薬・抗生物質・癌性の疼痛治療薬である。かつては医薬品業界における同社のイメージと言えば、「抗生物質(抗菌剤)」と「強力な営業部隊」で知られ、かつて、抗生物質全盛の時代には、快進撃を続けていた医薬品メーカーであった。 しかし、売り上げを抗生物質に大きく依存していたため、薬剤耐性菌の問題が取り沙汰されて抗生物質自体の売れ行きが鈍くなると、一時急激な減益。先行きが危ぶまれたが、高脂血薬のクレストール開発販売が成功した2010年以降、急速に業績を回復しつつある。
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