椿山と椿神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 09:37 UTC 版)
夏泊崎の南側の後背地は海岸段丘になっていて、小高い草地の丘がある。この丘陵地は家畜の放牧地として利用されてきたが、いまは一部がゴルフ場などに利用されている。 この一帯は古くから椿山と呼ばれ、江戸時代からツバキの名所として全国的に知られていた。いまは22ヘクタールあまりの丘陵地に約7000本のヤブツバキが自生する。ここはツバキの自生地の北限として国の天然記念物「ツバキ自生北限地帯」になっている(指定日:1922年(大正11年)10月12日)。 江戸時代に東北地方の旅行記を刊行した菅江真澄(1754年 - 1859年)は、『津河呂の奥(津軽の奥)』の中で当地を「ここらの椿咲きたるは巨勢の春野のたま椿も之をこそよばねと」と評した。また、松浦武四郎(1818年 - 1888年)は『東奥航海日誌』のなかで、「一山椿木斗にして中に松二三株立てり」と記している。 椿神社に伝わる棟札によれば、神社は元禄11年(1698年)に「椿宮女人神」として建立されたのが濫觴である。菅江真澄『津河呂の奥(津軽の奥)』の伝えるところによると、平安時代末期の文治年間(1185年 - 1189年)、現地の女性が近畿地方からやってきた男性と結婚の約束をして送り出したが、約束した期日までに男が戻らなかったために、女性は椿山から海へ身を投げたのだという。まもなく帰ってきた男は、女がすでに亡き者となったのを知って嘆き、山の麓に祀った。このときに近畿から持ってきたツバキの実を植えたことから一帯にツバキが広まったとされており、本来は温暖な地に自生するツバキが本州北部の当地に生えているのはこのためだという。 椿神社はのちに村社となり、女性神ではなくサルタヒコ(旅行・恋愛の神)とシオツチノオジ(航海の神)を奉斎するようになった。寛政9年(1797年)の『津軽俗説選』では、椿神社がサルタヒコを祀るようになったのは、おなじく「ツバキ」を冠する伊勢国一宮の椿大神社(三重県鈴鹿市)の主神がサルタヒコであったことからの伝播だろうという推論が紹介されている。 椿神社付近の海岸では人工的な砂浜の養浜が行われており、5月から初夏にかけてツバキが赤い花を咲かせる椿山とその山麓の椿神社は、景勝地として日本の渚百選(1996年)にも選ばれており、夏泊半島の代表的な観光地の一つとなっている。
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