村上文庫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 10:10 UTC 版)
詳細は「村上忠順」を参照 刈谷藩の御典医だった村上忠順は、吉田藩の羽田野敬雄とともに「東の羽田野、西の村上」として知られた国学者でもあった。生前には約25,000冊の書物を収集しており、そのうち貴重書が宮内庁・内務省・大蔵省などに貸し出されたこともあった。死後の1874年には弟子の深見篤慶が碧海郡高岡町(現・豊田市高岡町)に千巻舎を設立し、忠順が集めた書物は息子の村上忠浄の手で保管された。 忠浄は書物の活用方法を探っていたが、1914年(大正3年)には刈谷町の篤志家である宍戸俊治と藤井清七が一括購入して刈谷町に寄贈した。1916年(大正5年)から1917年(大正6年)に森銑三が図書分類目録を作成し、この文庫が刈谷町立刈谷図書館の母体となった。 村上文庫は25,104点のコレクションである。忠順の著書に加えて、写本や手沢本などが主であるが、『古文孝経』、『文選』、『伊勢物語』などの貴重な古版本も含まれている。国文学・地理・歴史などの分野に貴重な書籍が多い。国語学者の山田孝雄は忠順の『古事記評註』、『頭註新葉和歌集』、『散木弃謌集評註』の3種を名著であるとしている。1958年(昭和33年)2月25日には「典籍 村上文庫」が刈谷市指定文化財となった。 一般閲覧室のソファ席 一般閲覧室の書架 一般閲覧室の新刊コーナー 郷土・参考資料室 児童室
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村上文庫
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忠順は生前に約25,000冊の書籍を収集している。これらの書籍は全国的に貴重な存在であり、宮内庁、内務省、大蔵省などに貸し出されたこともあった。1874年には弟子にして娘婿の深見篤慶が忠順の書物を保管する施設として、碧海郡高岡町大字堤(現・豊田市高岡町)に千巻舎(ちまきのや)を建立。忠順の息子である村上忠浄の手で保管された。1914年(大正3年)9月には刈谷町出身の医師である宍戸俊治と刈谷町議会議員の藤井清七がこれらの書籍を一括購入、図書閲覧室を新築し、さらに書庫も建設した上で、書籍・図書閲覧室・書庫を刈谷町に寄贈した。 愛知県からの認可を受けて1915年(大正4年)11月23日には刈谷町立刈谷図書館(現・刈谷市立城町図書館)が創立された。刈谷町出身の書誌学者である森銑三が約1年をかけて書籍を分類し、24,578冊の書籍を系統づけた。1917年(大正6年)7月には忠順が収集した書籍を中心として刈谷図書館が開館した。この図書館は木造2階建の書庫と木造の閲覧室を有し、日曜日のみ開館した。 忠順が収集した書籍は村上文庫と呼ばれ、忠順の自筆写本数千冊、著書77種380冊が含まれる。国文学・地理・歴史などの分野に貴重な書籍が多い。国語学者の山田孝雄は忠順の『古事記評註』、『頭註新葉和歌集』、『散木弃謌集評註』の3種を名著であるとしている。1958年には「典籍 村上文庫」が刈谷市指定文化財となった。
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