正覚寺 (刈谷市)とは? わかりやすく解説

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正覚寺 (刈谷市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/06 15:46 UTC 版)

正覚寺
所在地 愛知県刈谷市寺横町4-36
位置 北緯34度59分20.1秒 東経136度59分23.1秒 / 北緯34.988917度 東経136.989750度 / 34.988917; 136.989750座標: 北緯34度59分20.1秒 東経136度59分23.1秒 / 北緯34.988917度 東経136.989750度 / 34.988917; 136.989750
山号 大音山
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 不明
正式名 大音山正覺寺
法人番号 5180305004673
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正覚寺(しょうかくじ)は、愛知県刈谷市寺横町にある真宗大谷派寺院[1]山号は大音山[1]。本尊は阿弥陀如来[1]

地理

刈谷城の東側に位置し、南西の高台には椎の木屋敷が、さらにその先の高台には刈谷市立亀城小学校がある。北側は刈谷城方面から延びる谷があり、谷を隔てて八幡町の市街地がある。

歴史

もとは重原荘の市場にあり、その頃は天台宗の寺院だったが、寛正元年(1460年)に浄土真宗に改宗した[1]慶長6年(1601年)には東本願寺教如から親鸞顕如の絵像を下付された[1]

いつしか刈谷町に移り、その後刈谷藩阿部家菩提所である福泉坊(ふくせんぼう)が他所へ移ったことから、福泉坊があった現在地に正覚寺が移った[1]。なお、寺横町という地名の由来は、正覚寺ではなく福泉坊である[1]

刈谷町をはじめとする4カ村の宗門改めは、毎年4月に正覚寺で行われていた[1]寛政2年(1790年)には刈谷藩主土井利制の寄進により、山門から寺横町までの参道が開けた[1]

1912年(明治45年)5月30日、正覚寺で三河鉄道株式会社の設立総会が開催された[2]

境内

本堂の内陣
  • 本堂
  • 山門
  • 北山門
  • 鐘楼
  • 庫裏
  • 墓地

墓所

文化財

無形民俗文化財

大名行列 奴のねり
  • 「奴のねり」
    • 寺横町は市原稲荷神社の祭礼で毎年「奴のねり」を披露しており、「奴のねり」は刈谷市指定無形民俗文化財に指定されている。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 平凡社(1981)、p.589
  2. ^ 坂本箕山『神谷伝兵衛』坂本辰之助、1921年
  3. ^ 『澤梅谷画伯の画稿にみる明治20年代(約100年前)の刈谷・知立』刈谷市郷土文化研究会、1999年、p.1
  4. ^ 村上文庫と図書館の創設 刈谷市
  5. ^ 赤い鳥とともに生きた童話作家 森三郎 愛知教育文化振興会

参考文献

  • 『日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』平凡社、1981年



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