村上掃部助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/21 04:00 UTC 版)
天文10年(1541年)頃、能島村上氏は大内氏と敵対しており、同年1月に厳島沖で大内水軍と交戦し、6月から7月にかけては逆に能島など芸予諸島の拠点に攻め込まれていた。 そんな中、大内氏に味方する「村上掃部助」という人物が史料にみえる。天文11年(1542年)4月、杉隆宣、青景隆著、弘中隆兼ら大内氏奉行人は神代兼任に対して、敵方の攻撃を受けている伊予国中島の棚林要害への加勢を指示。渡海の段取りは、小原隆名と村上掃部助に相談して進めるよう伝えている。この掃部助を、義忠に比定する説がある。
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