本作以前の「徳利の別れ」とは? わかりやすく解説

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本作以前の「徳利の別れ」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/27 15:08 UTC 版)

仮名手本硯高島」の記事における「本作以前の「徳利の別れ」」の解説

徳利別れ」は史実ではなく史実では赤埴源蔵には兄はおらず弟と妹がいるだけである。 史実において赤埴は元禄15年12月12日に妹の夫である田村右衛門のもとを訪ねている。その日赤埴が普段より着飾ってた事に関して右衛門の父から苦言呈されたが、赤埴は苦言感謝の意述べ一両日中遠方に参る為あいさつに来た旨を述べた。そして縫右衛門と杯を交わして別れている。 本作前述のように天保年間講釈師一立斎文車講釈をもとにしているが、現存する講釈筆記本はすべて明治以降のものであり、文車講釈そのもの伝わっていない。 しかし文車友人である為永春水文車講釈をもとにして「徳利別れ」の場面を『正史伝いろは文庫』の中に書いており、文車講釈内容ある程度推測可能である。 『正史伝いろは文庫』では中垣史実赤埴源蔵)は浪人により困窮しているにも関わらず、兄の伊左衛門から貰った衣類酒代変えてしまうような男で、伊左衛門内儀下女からは嫌われていた。討ち入り前日中垣酒気帯びて兄の家を訪ねるも、兄は外出しており兄の妻も癪気だとして会わない。そこで中垣は兄への土産徳利下女差出し、「西国仕官叶って暇乞いにきた。今後死ぬことがあっても恩は忘れない」という伝言泣きながら言って帰った翌日、兄・伊左衛門使いの者が討ち入りから引き上げ中垣会い形見の品を受け取る。中垣徳利伊左衛門の家の家宝になった吉田弥生上述の『正史伝いろは文庫』の記述明治期講釈速記本作比べる事で本作における黙阿弥オリジナル部分推測している。まず黙阿弥赤垣が兄の家に入るとき足の泥を畳にこすり付ける場面付け加えることで、赤垣無粋こだわらない性格演出した。また講釈では中垣討ち入り前日に兄の家を訪れていたが、黙阿弥はこれを討ち入り当日変更する事で緊迫感演出している。講釈では中垣周囲からよく評価されていないのに対し本作赤垣義姉からあたたかく迎え入れられるという独自の脚色施されている。この変更により、赤垣あたたかく迎えられる所を断ち切って忠義のために命を捨てる事を演出している。またこれにより黙阿弥創造した人物与之助を兄に見立てて赤垣酒を飲む行為に意味を持たせている。さらに元服曽我の「人は一代、名は末代」という謡いを入れる事で、討ち入り控えた赤垣心情わかりやすく表現した。 なお、本作ト書きにある赤垣服装は『正史伝いろは文庫』の挿絵のそれと共通しており、挿絵参考にした事が十分考えられる吉田弥生調査によれば本作以前歌舞伎で「徳利別れ」を描いたものはなく、逆に本作以降書かれた『忠臣蔵月雪花誌』(明治12年12月久松座初演)、『天下一忠臣照』(明治17年9月新富座初演)など、「赤垣源蔵」が出れば徳利別れ」の筋に定着している。

※この「本作以前の「徳利の別れ」」の解説は、「仮名手本硯高島」の解説の一部です。
「本作以前の「徳利の別れ」」を含む「仮名手本硯高島」の記事については、「仮名手本硯高島」の概要を参照ください。

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