木ノ本の獅子舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 14:09 UTC 版)
例祭前日(土曜日)の宵宮と例祭当日の両日、権殿前の広場で奉納される。獅子は黒塗りの雄獅子、2人1組の3組が交代で演じ、笛、太鼓、鉦(かね)がそれを囃す。最初は地上に筵8枚を敷き延べ、そこで「龍の舞」「孔雀の舞」「鶴亀の舞」「ねじ」「ねんねんころり」「居眠り」「股ねずり」等を舞い、次いで山車(だんじり)上およそ5メートルほどの高さに渡された2本の青竹を足場とする舞いに移る。山車上の舞いは獅子が吾が子を千仞の谷へ落として仔獅子の勇気を試すという故事に因み、谷底に蹴落とす様や心配気に谷底を覗く様が何度か繰り返され(「谷のぞき」という)、その後這い上がる仔獅子の姿を見て安心したのか座り込んで居眠りをし(「居眠り」という)、目覚めると勢いよく3度反り返り(「それる」という)、最後に逆立ちとなって梯子を降って終える。その後氏子地区内の三道(さんど)の辻等へ出向いて舞う他(「道中獅子」という)、神輿に供奉して海岸まで赴きともに禊ぎをし、夕刻に権殿前へ戻って最後に1舞い演じる。また、最後の獅子舞の後には青竹上で思い思いの舞いを演じる「真似獅子」も行われる。昭和41年(1966年)4月12日に和歌山県の無形民俗文化財に指定された。 平成初年時点(20世紀末)で500年の伝統を有すとされているが、社伝によれば神亀元年(724年)聖武天皇の玉津島行幸に際して芝原八幡宮で放生会を行ったことに起源を持ち、古くは「放生祭」と称したという。長らく8月15日を祭日としていたので、同日に日本各地の八幡宮で行われた放生会に共通する神事が起源で、神事の後に行われた法楽芸能に流れを持つものともされ、また、近世に紀ノ川流域の諸社寺において伊勢大神楽系の獅子舞が流行・採用された後も、それとは別系統の獅子舞として伝承されたものともされる。
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