朝日新聞記者・矢田喜美雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 07:04 UTC 版)
「下山事件」の記事における「朝日新聞記者・矢田喜美雄」の解説
朝日新聞記者矢田喜美雄と東大法医学教室による遺体および遺留品の分析では、下山総裁のワイシャツや下着、靴下に大量に油(通称「下山油」)が付着していたが、一方で上着や革靴内部には付着の痕跡が認められず、油の成分も機関車整備には使用しない植物性のヌカ油であった(当時は物資不足で、機関車の油に植物油を混入することは通常行われていたという反論もある)ことや、衣類に4種類の塩基性染料が付着していたこと、足先が完存しているにもかかわらず革靴が列車により轢断されているなど、遺留品や遺体の損傷・汚染状況などに、矢田と法医学教室が「きわめて不自然」と判断した事実が浮かび上がっていた。特にヌカ油と染料は、下山総裁の監禁・殺害場所を特定する重要な手がかりになる可能性もあるとして注目された。 加えて、連合国軍憲兵司令部・犯罪捜査研究室(CIL)でアメリカ軍所属のフォスター軍曹より、轢断地点付近にわずかな血痕を認めたとの情報を入手。そこで微細血痕を暗闇で発光させ、目視確認を可能とするルミノール薬を用いた検証を実施した。轢断地点から上り方面(上野方面)の枕木上に、わずかな血痕を発見した。 その後、警視庁鑑識課を加えたうえで改めてルミノール検証が行われ、轢断地点から上り方面の荒川鉄橋までの数百メートルの間の枕木上に、断続的に続く多数の血痕を確認した。血痕は、最後に上り方向の線路へ移り途切れていた。 さらにその土手下にあった「ロープ小屋」と呼ばれた廃屋の扉や床にも血痕が確認されたため、これらの血痕は下山総裁の遺体を運搬した経路を示しているのではないかと注目された。しかし、警視庁捜査一課が釣り糸製造業角田某という人物を探し出し、1946年2月から1948年5月まで所有者から借り受け、その間に薪割り中に斧で大けがをしたため血痕が付着したと言い出した。だがこれを重視した東京地検が本人の血液を採って、東大法医教室で血液型を検査したところ血液型は一致しなかった。
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