最初の活動休止
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「THE STREET SLIDERS」の記事における「最初の活動休止」の解説
1987年 9月、ドラムスの鈴木が交通事故で入院。アルバム・リリースに合わせて予定されていた全国50カ所ツアー全公演がキャンセルとなり、バンドは半年ほどの休止状態に入る。休止の間、村越と土屋によるアコースティック・ユニット“JOY-POPS”が始動。土屋は“甲斐よしひろ&プロジェクトK”にも参加。 10月、村越が「風が強い日」のプロモーション・ビデオ撮影のため、単身バリ島へ飛ぶ。 1988年 1月21日、前年発売のアルバム『BAD INFLUENCE』からのリカットシングル「Baby, 途方に暮れてるのさ」を発売。レゲエのリズムを主体とした曲が日本でシングルとして発売されるのは、当時稀有なことであった。 2月、初のベスト・アルバム『REPLAYS』リミックス作業の為、村越と土屋がニューヨークへ飛ぶ。 4月10日、NHK『MUSIC WAVE SPECIAL』(東京・汐溜PIT)収録にてバンドの活動を再開。 4月25日、『復活!ROCK'N' ROLL DEF' TOUR』より本格的に活動を再開。富山を皮切りに全国60カ所のツアーを実施。 6月15日、『夜のヒットスタジオ』初出演。ファン代表として俳優伊武雅刀の電話コメントが紹介され、別スタジオにて「Boys Jump The Midnight」を生演奏した。 6月22日、ストリート・スライダーズ初のベスト・アルバム『REPLAYS』発売。 8月、『ROCK'N' ROLL DEF' SPECIAL』を福岡、名古屋、大阪、東京で開催。東京は日本武道館2日間連続公演。 9月15日、次のアルバム・レコーディングに入る。レコーディング終了後、メンバー全員でインドへ。 1989年 1月21日、9thアルバム『SCREW DRIVER』発売。再び自分達でプロデュースを手掛け、国内でレコーディングを行うようになる。 『SCREW DRIVER』リリース以降、ルーティンでのアルバム・リリースよりもライブ・ツアーでの活動を優先するようになる。結果、毎年1枚のペースで発表していたアルバム・リリースの間隔がこの頃から少しずつ伸び始める。 9月〜、メンバー各人、充電期間に入る。その間、村越と土屋はJOY-POPS初のスタジオ・レコーディングを行う。その後土屋は単身インド旅行へ。市川は2か月ほどロンドンへ。鈴木のみ詳細不明。 12月9日、16thシングル「ROUTE S・S」発売。スライダーズ、JOY-POPS、土屋のソロ3作を缶ケースに納めた企画物CDシングルであったが、スライダーズのロックとは別のアコースティック・サウンドであるJOY-POPS、土屋のソロといった新たな側面と可能性を生むきっかけにもなった。 1990年 2月-5月、『ROUTE S・S TOUR』開催。このツアー中、“子供の日”と“大人の日”の2日間に分けたライブを名古屋、大阪、東京・日本武道館、福岡にて開催。 6月2・3日、東京・日比谷野外音楽堂で3度目のワンマン・ライブ『Get Wet When It Rains』開催。初日はFC会員限定。
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