最初の渡英
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 09:38 UTC 版)
1870年(明治3年)井上馨に従って東京に上り、1971年(明治4年)、大蔵卿となった井上馨により、造幣技術習得のため木戸正二郎と共にイギリスに派遣された。 イギリスでは、先に長州五傑が学んだロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン化学教室に入り、教官チャールズ・グラハム宅に下宿しながら、アレキサンダー・ウィリアムソンに化学を学び、またロバート・ウィリアム・アトキンソンとも知り合った。1872年(明治5年)には岩倉使節団を迎え、私的に面会した。 1874年(明治7年)春帰国し、開成学校教授補として、同年教授として招聘されたアトキンソンを補佐し、化学を講義した。1875年(明治8年)10月病気が悪化し、生死を彷徨ったが、テオドール・ホフマンの尽力で快復した。
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