ロバート・ウィリアム・アトキンソンとは? わかりやすく解説

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アトキンソン【Robert William Atkinson】

読み方:あときんそん

[1850〜1929]英国化学者明治7年(1874)東京開成学校招かれ来日。のち東京大学理学部教師として日本化学育成貢献日本酒の醸造過程研究でも知られる。著「日本醸酒編」。


ロバート・ウィリアム・アトキンソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/07 06:36 UTC 版)

ロバート・ウィリアム・アトキンソン

ロバート・ウィリアム・アトキンソン(Robert William Atkinson、1850年 - 1929年12月10日)は、イギリス人化学者で、明治時代東京開成学校で教鞭を執ったお雇い外国人教師である。1878年、東京化学会(現:日本化学会)の創立に貢献した。

弟子には桜井錠二平賀義美高松豊吉などがいる。

来歴

1850年、イギリスニューキャッスル生まれ。ロンドン王立鉱山学校英語版卒業後、ロンドン大学アレキサンダー・ウィリアムソン教授の助手となる。

親日家だったウィリアムソンの推薦により、1874年(明治7年)9月9日 - 1878年(明治11年)9月8日1879年(明治12年)2月3日 - 1881年(明治14年)7月4日に滞日し、東京開成学校および東京大学理学部で教授となり分析化学応用化学とともに農学関係の学問を教えた。日本酒醸造法を研究し、欧米の低温殺菌法に当たる火入れを発見したことで有名。染料の研究もしていて、日本に藍染めの衣類が多いことを見て、「ジャパンブルー」と呼んだ。

1879年(明治12年)の夏、ジクソン英語版中沢岩太と山行をした。東京 - 十文字峠 - 八ヶ岳 - 御岳 - 白山 - 金沢 - 富山 - 室堂 - 立山 - 黒部川 - 針ノ木峠 - 大町と行ったという。

帰国後はウェールズで製鉄所の顧問を務めた。1904年(明治37年)には勲四等に叙せられた。

その後はカーディフにて鉄鋼業者や顧問技師として活躍し、1929年12月10日、カーディフで亡くなった。

著書

  • ネイチャー誌』 1878年(明治11年) - 日本酒の醸造の化学について寄稿。
  • 『The Chemistry Of Sake-brewing』 1881年(明治14年)
    • 『理科会粋 第五帙 日本醸酒編』 明治15年 訳 中沢岩太、石藤豊太 東京大学出版会 

参考文献

関連項目

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