書体と出版活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 10:05 UTC 版)
「ニコラ・ジャンソン」の記事における「書体と出版活動」の解説
ヴェネツィアに到着したころ、ジャンソンは芸術家としてかなりの成功を収めていたが、同時に経済的にも成功していた。金細工職人として早くから訓練を積んでいた彼は、書体の持つ彫刻的な性質に対して敏感であり、ローマの精神を呼び起こすような美しい大文字をしばしば採用した。 ジャンソンのヒューマニスト書体に基づいた非常に読みやすく均一な色の書体は、何世紀にもわたり、ウィリアム・モリスをはじめとする数多くの書体デザイナーによって再解釈されてきた。ジャンソンが歴史上最も偉大な書体デザイナーかつパンチカッターの一人として知られているのは、エウセビオスの『福音の備え De praeparatio evangelica』で初めて使用された、ローマン書体デザインの集大成ともいえる書体に由来している 。 ジャンソンの活字が、それ以前のリテラ・アンティカ(littera antica)と呼ばれる書体からその形を借用しているのは明らかである。リテラ・アンティカとは、カロリング・ミナスキュール(Carolingian minuscule)をベースに、帝政ローマ時代の大文字を参考にしたセリフを加えた書体である。こうして制作されたジャンソンの活字が、先述のエウセビオスの1470年版で初めて使用された。1471年には、引用文に使われるギリシア文字の書体、1473年には医学や歴史の本に使われるブラックレターの書体が登場した[要出典]。 同時代の印刷業者とは異なり、ジャンソンは自身の財政基盤を拡大することができたため、 1477年には12台もの印刷機を同時に動かすことができるようになった。価格を下げ、生産性の低いライバルを追い出すために、彼は続け字のゴシック体を廃止し、本文と注釈を同じページに印刷することを初めて可能にした。また、1475年にはJohannes de Colonia、1480年にはNicolaus Jenson et sociiという名前で、2つの書籍販売会社を設立したことも知られている。 彼の死後、それぞれの書体はアルド印刷所に引き継がれ、今日の数多くのフォントの基礎となっている。例として、ウィリアム・モリスの"Golden Type(英語版)"、ブルース・ロジャース(英語版)の"Centaur(英語版)"(1914年)、モリス・フラー・ベントン(英語版)の"Cloister Old Style(英語版)"(1926年)、ロバート・スリンバック(英語版)の "Adobe Jenson(英語版)" (1996年)などがある。
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