帝政ローマ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 01:42 UTC 版)
「ザールブリュッケン」の記事における「帝政ローマ時代」の解説
紀元前1世紀に、ガリアのメディオマトリキ族がザールブリュッケンの地域に定住したが、ガイウス・ユリウス・カエサルがガウルを征服した時に、この地区もローマ帝国に編入された。 そして1世紀から5世紀にかけて、ガロ・ローマ人がメスからヴォルムス、トリーアからストラスブールにかけて定住しはじめた。1世紀または2世紀からザール川を南西に架ける木造の橋(後に石造へ)が建築され、現在の聖アルヌアール地区にローマ風の住居が次々と建てられた。また、3世紀にはミトラ教の神殿がハルベルク丘の洞窟に建設されている。 しかし4世紀にはドイツ南西部のライン川上流地域を原住地とするゲルマン人部族連合のアレマン人の侵略によって、この居住区が破壊された。
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