帝政ロシア・ソビエト連邦時代
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「グルジアのイスラム教」の記事における「帝政ロシア・ソビエト連邦時代」の解説
かくして1783年のカルトリ、カヘティ両王国の保護国化から、1878年のアジャリア併合までの一連の動きにより、グルジアは約100年をかけてロシア領となった。帝政ロシア時代においては、イスラム教徒に対するキリスト教への改宗やロシア語の強要(同化政策)と、地域のイスラム系有力者による間接的統治という、重層的な政策が使い分けられることとなる。 帝政崩壊後の1918年5月、メンシェヴィキによりグルジア民主共和国独立宣言を発布するも、1921年2月のグルジア社会主義ソビエト共和国成立を経て、1922年にはアルメニア、アゼルバイジャンと共に、ソビエト連邦の構成国であるザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国を形成するに至る。 この間1917年11月15日には『ロシア諸民族の権利宣言』により民族自決や民族抑圧の除去の原則が確認されたものの、第二次世界大戦中はイスラム系諸民族の強制移住が行われるなど、苦難の道を歩んだ。また、1956年と1989年4月の2度にわたり、首都トビリシで独立を求める集会が軍により弾圧を受けた。
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