帝政ドイツ海軍
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「エーリヒ・レーダー」の記事における「帝政ドイツ海軍」の解説
1876年4月24日、レーダーはハンブルクのヴァンツベック(de:Hamburg-Wandsbek)で学校長の息子として生まれた。1894年4月、海軍兵学校に入校。練習船「シュトッシュ (Stosch)」、次いで「グナイゼナウ (Gneisenau)」で基礎訓練を積んだ後、1897年10月25日海軍少尉に任官。1900年4月9日、海軍中尉に昇進。1903年10月1日、海軍大学に入校。1905年3月21日、海軍大尉に昇進。 1906年4月1日、レーダーは海軍本部 (Reichsmarineamt) の通信部門に異動した。1908年から海上勤務に戻り、装甲巡洋艦ローン級「ヨルク (York) 」の航海長を務める。1910年9月15日、皇帝ヴィルヘルム2世の御召ヨット 「ホーエンツォレルン」へ異動。同在任中1911年4月15日、海軍少佐に昇進。1912年10月1日、大洋艦隊 (Hochseeflotte) の偵察艦隊(巡洋戦艦隊)司令官フランツ・フォン・ヒッパーの参謀長に就任した。 1914年の第一次世界大戦開戦時、レーダーはヒッパーの下で、1915年1月24日のドッガー・バンク海戦、1916年5月31日のユトランド沖海戦、主要な作戦に参加した。1917年4月26日、海軍中佐に昇進した。 1918年1月17日、レーダーは軽巡洋艦ケルン級「ケルン (Köln)」 の艦長に異動し大佐に昇進した。しかし、戦闘に加わることはなかった。1918年10月、海軍本部の管理部門に異動、1918年11月、ドイツ革命が勃発し、ヴァイマル共和国が成立、第一次世界大戦は終結した。
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