明治時代以降那須烏山市誕生まで
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「那須烏山市」の記事における「明治時代以降那須烏山市誕生まで」の解説
1871年8月29日(明治4年7月14日) 廃藩置県で烏山藩は廃藩となり、一時烏山県となったが、同年12月25日(11月14日)に宇都宮県に編入。 1874年(明治6年)5月1日 維新学校(現・烏山小学校)開校。 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行に伴い、那須郡烏山町・向田村(むかだむら)・境村(さかいむら)・七合村(ななごうむら)が発足。 1907年(明治40年) 私立烏山学館(後の県立烏山高等学校)開校。 1921年(大正10年) 烏山町立実践女学校(後の県立烏山女子高等学校)開校。 1923年(大正12年) 国鉄烏山線(現在のJR烏山線)が開通する。 1947年(昭和22年) 荒川村立荒川中学校(現・荒川中学校)学制改革により新設。 1986年(昭和61年)8月 那珂川洪水により、市内の宮原地区、向田地区など大被害。 旧烏山町 1954年(昭和29年)3月31日 烏山町と境村、向田村、七合村が合併し、新・烏山町となる。 旧南那須町 1954年(昭和29年)6月1日 下江川村と荒川村が合併し、南那須村となる。 1971年(昭和46年)9月1日 町制施行。 那須烏山市発足 2005年(平成17年)10月1日 那須郡の烏山町と南那須町の新設合併により発足。 南那須地区広域合併構想の経緯 南那須地区(旧烏山町、旧南那須町、旧小川町、旧馬頭町の4町)では、古来から経済的・地域的なつながりが深いことから、平成の大合併にあわせて地区合併協議会を設置した。一度は合併で合意し、公募により「那須南市」の新市名も決定された。しかしながら、市役所庁舎の建設計画などで対立が顕在化し、2004年(平成16年)10月30日に4町合併協議会は解散、広域合併構想は頓挫した。2005年に旧小川町と旧馬頭町が合併し那珂川町が発足し、旧烏山町と旧南那須町が合併し那須烏山市が発足した。※4町合併後の新市名称として、「なかがわ市」「なか川市」「那珂川市」「那須那珂市」「那須みなみ市」「那須南市」「那南市」「みどり市」「八溝市」「やみぞ市」「那須烏山市」「那須みどり市」「みどり野市」「鮎川市」「那須やみぞ市」の15点が候補としてあがっていた。
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