明治時代以降那須烏山市誕生までとは? わかりやすく解説

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明治時代以降那須烏山市誕生まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 23:53 UTC 版)

那須烏山市」の記事における「明治時代以降那須烏山市誕生まで」の解説

1871年8月29日明治4年7月14日廃藩置県烏山藩廃藩となり、一時烏山県となったが、同年12月25日11月14日)に宇都宮県編入1874年明治6年5月1日 維新学校(現・烏山小学校開校1889年明治22年4月1日 町村制施行に伴い那須郡烏山町向田村(むかだむら)・境村(さかいむら)・七合村(ななごうむら)が発足1907年明治40年私立烏山学館(後の県立烏山高等学校開校1921年大正10年烏山町実践女学校(後の県立烏山女子高等学校開校1923年大正12年国鉄烏山線現在のJR烏山線)が開通する1947年昭和22年荒川村荒川中学校(現・荒川中学校学制改革により新設1986年昭和61年8月 那珂川洪水により、市内宮原地区向田地区など大被害。 旧烏山町 1954年昭和29年3月31日 烏山町境村向田村七合村合併し、新・烏山町となる。 旧南那須町 1954年昭和29年6月1日 下江川村荒川村合併し南那須村となる。 1971年昭和46年9月1日 町制施行那須烏山市発足 2005年平成17年10月1日 那須郡烏山町南那須町新設合併により発足南那須地区広域合併構想の経緯那須地区(旧烏山町旧南那須町、旧小川町、旧馬頭町の4町)では、古来から経済的地域的なつながりが深いことから、平成の大合併あわせて地区合併協議会設置した一度合併合意し公募により「那須南市」の新市名決定された。しかしながら市役所庁舎建設計画など対立顕在化し、2004年平成16年10月30日に4町合併協議会解散広域合併構想頓挫した2005年に旧小川町と旧馬頭町合併し那珂川町発足し、旧烏山町旧南那須町合併し那須烏山市発足した。※4町合併後新市名称として、「なかがわ市」「なか川市」「那珂川市」「那須那珂市」「那須みなみ市」「那須南市」「那南市」「みどり市」「八溝市」「やみぞ市」「那須烏山市」「那須みどり市」「みどり野市」「鮎川市」「那須やみぞ市」の15点候補としてあがっていた。

※この「明治時代以降那須烏山市誕生まで」の解説は、「那須烏山市」の解説の一部です。
「明治時代以降那須烏山市誕生まで」を含む「那須烏山市」の記事については、「那須烏山市」の概要を参照ください。

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