明治時代概観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 13:37 UTC 版)
和様から唐様へ 江戸時代末期、「御家流でなければ書にして書にあらず」という偏見があったが、御家流全盛の時代にも唐様を書くものがあり、その多くは文人墨客・儒者・医家などであった。幕府が倒れて明治政府になり、政治の中心である太政官の文書課には、幕府時代の唐様を書く人々が多く職を奉じるようになった。巖谷一六・日下部鳴鶴・長松秋琴・菱田海鴎・北川泰明などがそれであり、これによって宮中府中の文書は唐様で執筆されるようなり、日本の書風に一大変遷を来たした原因となった。当時の唐様といえば、西では海屋流、東では菱湖流・米庵流などが新派の頭目であった。それから10年ほどは変遷もなく、しばらく唐様が発展した。 六朝書道の勃興 1880年(明治13年)に来朝した楊守敬により日本における六朝派の書風が始まる。その後、中林梧竹が渡清し書法の研究に従事した。この梧竹の留学と楊守敬の来朝によって、維新の初年、御家流を滅ぼした唐様の新派に代わって六朝書道が流行するに至ったのである。それ以来、明治の終局まで大体において我が国の書風に変化というものはなかった。
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