明治期から昭和初期の責め絵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 14:35 UTC 版)
「乳房縛り」の記事における「明治期から昭和初期の責め絵」の解説
明治18年に発表された月岡芳年の「奥州安達ヶ原ひとつ屋の図」が女の責め絵の発端と言われている。あばら家の梁に妊婦が裸で逆さ吊りにされ、そばで老女が臨月腹を切り捌く包丁を研いでいるという、猥褻かつ残虐な題材になっている。後年、月岡の影響を受け、戦前の責め絵の第一人者となった伊藤晴雨も同じ題材で妊婦責めの絵を描いている。 明治から昭和初期にかけての責め絵は、女達の残虐な責め・拷問・処刑に関心が置かれていた。落城して捕えられた姫が全裸で磔にかけられる処刑図、捕らえた女達を火で炙り焼きにする火責めの拷問・処刑図、折檻された女中が雪中の松に裸で吊るされる図など、弱い立場の女性が理不尽な仕置きを受けるという題材が好まれた。
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