旧「岩槻市」域(岩槻区)
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「さいたま市」の記事における「旧「岩槻市」域(岩槻区)」の解説
南北方向に細長い市域に岩槻城の城下町を起源とする中心市街地があり、南北に住宅地や農地が多いという市街配置・土地利用構成となっていること、江戸時代には大部分が岩槻藩領であったこと(他の3市は主に幕府領など)、1954年(昭和29年)の市制施行前の所属郡が南埼玉郡であったこと(他の3市は北足立郡)などの歴史的経緯において、他の旧3市とは異なった特徴を有する。伝統工芸品である岩槻人形の産地で、人形店が集積し、「人形のまち」として全国的に知られるようになった。2020年2月22日には岩槻人形博物館も開館した。 一方で、近代以降の歴史を振り返ると、1889年の市制町村制施行当時の旧4市の中心自治体は、全て『町』であった。浦和町は、浦和宿単独による町制施行で設置されて以降、常に周辺の村々を編入(吸収)合併したものの、1934年の市制施行は周辺の村々を合併せず、単独で市制を施行している。一方、大宮町は、大宮宿と周辺の4村による新設(合体)合併によって町制を施行し、1940年の市制施行も大宮町と周辺の4村との新設合併によって大宮市を設置している。また与野町は、旧与野町と周辺の9村との新設合併によって町制を施行し、1958年の市制施行は単独で市制を施行している。岩槻町は、旧岩槻町と隣接する1村との新設合併によって町制を施行し、1954年に市制施行を前提とする岩槻町と周辺の6村との新設合併によって新しい岩槻町を設置した後、同年に単独で市制を施行している。 浦和にとって、これまで経験した自治体合併は、すべて浦和への編入合併であったため、さいたま市設置が初めての新設合併であったのに対して、大宮・岩槻は2度、与野も1度新設合併を経験し、その度に「大宮」・「与野」・「岩槻」の名を後継の新設自治体に引き継がせてきた経緯がある。
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