日本招諭の発端とは? わかりやすく解説

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日本招諭の発端

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)

元寇」の記事における「日本招諭の発端」の解説

クビライ日本使節派遣する契機となったのは、1265年文永2年至元2年)、高麗人であるモンゴル帝国官吏・趙彝(ちょうい)等が日本との通交進言したことが発端である。 趙彝は「日本高麗隣国であり、典章制度法律)・政治賛美するに足るものがありますまた、漢・唐の時代以来、あるいは使い派遣して中国通じてきました」 と述べたという。趙彝は日本に近い朝鮮半島南部慶尚道咸安かんあん出身であったため、日本情報持っていたともいわれるクビライは趙彝の進言受け入れ、早速日本使節派遣することにした。 なお、マルコ・ポーロの『東方見聞録』では、日本大洋オケアノス上の東の島国として紹介されており、クビライ日本関心抱いたのは、以下のように日本の富のことを聞かされ興味持ったからだとしている。 「サパング(ジパング日本国)は東方の島で、大洋中にある。大陸から1500マイル(約2,250km)離れた大きな島で、住民肌の色白く礼儀正しいまた、偶像崇拝者である。島では金が見つかるので、彼らは限りなく金を所有している。しかし大陸からあまりに離れているので、この島に向かう商人はほとんどおらず、そのため法外の量の金で溢れている。この島の君主宮殿について、私は一つ驚くべきことを語っておこう。その宮殿は、ちょうど私たちキリスト教国の教会が鉛で屋根を葺くように、屋根がすべて純金覆われているので、その価値はほとんど計り知れないほどである。床も2ドワ(約4cm)の厚みのある金の板が敷きつめられ、窓もまた同様であるから宮殿全体では、誰も想像することができないほどの並外れた富となる。また、この島には赤いがたくさんいて、すこぶる美味である。多量宝石産するさて、クビライ・カアンはこの島の豊かさ聞かされてこれを征服しよう思い二人将軍多数の船と騎兵歩兵付けて派遣した将軍一人はアバタン(アラカン阿剌罕))、もう一人はジョンサインチン(ファン・ウェン・フー、范文虎)といい、二人とも賢く勇敢であった。彼らはサルコン(泉州)とキンセー(杭州)の港から大洋乗り出し長い航海の末にこの島に至った上陸するとすぐに平野村落占領したが、城や町は奪うことができなかった」 また、南宋遺臣の鄭思肖も「元賊は、その豊かさ聞き、(使節派遣したものの)倭主が来臣しないのを怒り、土の民力をつくし、舟艦を用意して、これに往き攻める」 と述べており、クビライ日本豊かさ聞いたことを日本招諭の発端としている。 一方クビライ重臣劉宣は「至元初年高麗の趙開(趙彝か)が日本通交南宋牽制するように建言する」 と述べており、招諭の発端として南宋包囲網を敷くことも目的一つであったことがわかる。ただし、クビライ日本使節派遣するのと同時期に「朕、宋(南宋)と日本とを討たんと欲するのみ」 と明言し高麗造船により軍船整えば「或いは南宋或いは日本、命に逆らえ征討す」 と述べるなど、南宋征服同様に日本征服を自らの悲願とする意志表明している。

※この「日本招諭の発端」の解説は、「元寇」の解説の一部です。
「日本招諭の発端」を含む「元寇」の記事については、「元寇」の概要を参照ください。

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