日本乗り入れ機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 18:48 UTC 版)
1960年代から1970年代にかけて、中華民国の民航空運公司(CAT)、香港のキャセイパシフィック航空やスイス航空(現・スイス インターナショナル エアラインズ)等が、日本への乗り入れ機材として使用した。なお、ガルーダ・インドネシア航空が一時的に乗り入れ機材として使用していたこともある。 この中でも、特に民航空運公司が台北-東京線で用いた機体(登録記号:B-1008)は、黄金色で中華風の派手な機体塗装と特別仕様のキャビン・インテリア装飾を施し、“マンダリンジェット”の愛称で一般にも親しまれた。中華民国で郵政事業を行う中華郵政は同機を描いた郵便切手を複数回発行しており、航空切手には同機の姿を見ることができた。また、1961年の中華民国における民間航空40周年記念切手には青天白日旗を背景に同機が飛行する姿が描かれており、同国のフラッグキャリアのシンボルという位置づけであったことが伺える。1968年にボーイング727に更新したことから、同機はキャセイパシフィックに引き取られた。 「民航空運公司#表の顔」も参照 キャセイでは1970年代前半に延べ9機の中古のCV880を運用している。同社は香港啓徳空港をハブとして東南アジア定期路線を展開していたが、その需要と将来予想については日本航空と同様の判断をしていた。現行レシプロ4発機とロッキード L-188からの後継機検討ではカンタス航空が採用したボーイング707-138かボーイング720を候補としたが新造機では価格面で折り合いが付かなかった。引き続き代替案を模索するなか、同社の要求キャパシティに近い機材として、CV880の中古(その多くが日本航空の使用していたもの)が安価で放出されていたことから導入が決まった。ところが就航中に2機が香港で離陸失敗事故を起こしたほか、1機を航空テロで喪失している。後継機としてボーイング707の中古機を導入したことに伴って1974年に定期便から退役し、1975年中に全機がボーイング707の下取りの形で売却された。日本航空と同様に活躍期間は短く、キャセイからの退役後は再び民間定期路線で使われることはなかった。 「航空事故の一覧 (1960年から1979年)#1970年代」および「キャセイ・パシフィック航空700Z便爆破事件#事件の概略」も参照 CV880はエンジン騒音が大きいうえに黒煙を曳いたため、日本航空やキャセイの所属機が乗り入れていた伊丹空港で生活環境に及ぼす公害だとして裁判にまで発展した騒音問題では特に槍玉に挙げられた。 詳細は「関西三空港の経緯と現状#空港廃止運動」および「大阪国際空港#国際空港時代」を参照 なお、CV880を運用していたトランス・ワールド航空(当時アメリカ占領下の沖縄のみ乗り入れ)、ヴァリグ・ブラジル航空やKLMオランダ航空などは、日本乗り入れ機材にボーイング707やダグラスDC-8などを使用しており、定期便でのCV880の乗り入れ実績はない。1970年代末までに、すべての航空会社がCV880での日本国内への乗り入れを終了している。
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