日本への導入とその影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 00:55 UTC 版)
「ポルシェ・956」の記事における「日本への導入とその影響」の解説
1983年の全日本耐久選手権 (JSPC) に、ノバ・エンジニアリングがル・マン用ロングテール仕様のトラストポルシェ956を参戦させ、富士1000kmでのデビューウィン以降ほぼ全勝の輝かしい戦績を残した。同年秋に開催された世界耐久選手権(WEC)シリーズ中の1戦、WEC-JAPAN(富士1,000Km)には956勢の中でただ1台ロングテール仕様で参戦。低ドラッグによる燃費の良さを生かして快走を見せ、同じカスタマー仕様の956を使用する海外の各有力プライベートチームを上回り、燃費・パワーの点で有利なボッシュモトロニックMP1.2を使用するワークスチームに次ぐ3位入賞を果たした。ヨーストをはじめとする海外有力プライベートチームも参加する中での3位入賞は、日本のプライベートチームのレベルの高さを示すことができたとされ、翌年以降、他の国内プライベートチームにも956が提供されることになった。 1984年以降は国内プライベートチームも大幅に増加し、トヨタ(WRC用グループBセリカにも使用されていた4T-Gターボを転用したトムス・83C)、日産(日産・スカイラインターボCや、マーチ製シャーシにLZ20Bターボを搭載したマーチ・83G)のワークスチームを相手に圧倒的な強さを示し続けながら、国内耐久レースを盛り上げた。 JSPCに参戦する日本の自動車メーカーは、自社のグループCカー開発にあたってポルシェのグループCカーからのノウハウ吸収に努めた。トヨタは1983年にトラストから借り受けた956を実車風洞にかけ、956とトムス・83Cとの空力性能の差の大きさを知り、マツダのワークスドライバーだった片山義美は956の強さの秘密を探ろうと、1984年に1年だけトラストポルシェでJSPCに参戦した。日産に至っては後継の962Cのエンジンを購入し、分解して研究することまでした。956は日本メーカーのCカーの開発に多大な影響を与えた。 さらに956、962Cの国内のプライベートチームへの提供によって起きた国内耐久シリーズの盛り上がりはトヨタ、日産のル・マン24時間レース参戦へと発展していった。956と962Cは、国内モータースポーツ界の発展に大きな功績があったといえるだろう。 ノバの森脇基恭は956について「マシンに6か月保証が付いている」「エンジンに6,000 kmまでオーバーホール不要の保証が付いている」「エンジンのオーバーホールがポルシェの一般車と同じ工場で行われるため費用が(レーシングパーツ工費として)格安である」「WEC全戦にポルシェからサービスカーが派遣されスペアパーツがその場で購入できる」などアフターセールの良さについて絶賛している。 また、962Cに乗った中谷明彦も後年「962はドライバーの環境も考えられており、24時間耐久レースでも涼しいぐらい車内に走行風が入ってくる」と設計素性の良さを証言している。
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