日本への導入とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 22:58 UTC 版)
「スポーツコンパクト」の記事における「日本への導入とその後」の解説
日本への導入は1997年前後で、従来ローライダーなどのアメリカ車等を用いた米国風改造を行っていた人々によって行われた(少なくとも日本における従来型チューニングカーの様式とは明確にルーツが異なる)。「スポーツコンパクト」という名称は、従来のジャンルと区別するためアメリカの自動車雑誌「SPORTS COMPACT CAR」より取ってつけられた(そのため「スポコン」というジャンルを示す名称自体は和製英語の扱いに近い)。 導入時は従来の米国風改造の素材が日本車に置き換わったものであり、一部においてはアメリカ車を用いたカスタムやローライダーカスタムにおいての傍系的手法として捉えられていた節があった(事実、当初このジャンルを取り上げていた雑誌は「Daytona J's(ネコ・パブリッシング/廃刊)」などのアメリカンカスタム誌であった)。当時からそれぞれのカスタムカー愛好家が行っていたジャンルにおける文化に合致した手法が導入されていたため、ストリートレーサー色の強いものから派手な外装を施したローライダー色の強いもの等複数の手法が行われており、ある程度ジャンルも大別されていたが、その方向性については各カスタムカー愛好家間での一定の共通認識があった。 しかし、その後の雑誌、映画などのメディアにより露出が大きくなるにつれ、一過性の動向が発生し、異なるジャンルのカスタムカー愛好者が多く流れてきた。またこれによりカスタムカー愛好家の一部においては他者との差異を演出するために新しい手法を繰り出そうと躍起になった。その結果、商品供給を行うメーカーやそのスポンサードを受けている雑誌などの思索も絡み多方面においてジャンル拡大が行われ、またベース車両の類似性からメディアによって日本の従来型チューニングとのジャンル・手法の関連付けもいささか強引に行われたためにその手法も多様化し、元々の共通認識であったアメリカンカスタム、あるいはその生活様式を無視したものも数多く出回るようになっていった。 そのためスポーツコンパクトカスタムを標榜していてもさまざまな要素、認識が入り混じるようになり、今日に至っては一言で説明がつかないほど複雑なジャンルへと変貌を遂げることとなった(これは皮肉にも、このジャンルを導入した人々が、このジャンルから離れてしまう逆転現象を生む要因ともなった)。
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